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天地を揺るがす共感 

 易経に、澤山咸という卦がある。

 山上の湖のイメージだ。
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別れることと委ねること 

 仏教的な発想をすると、たぶんこういうことになる。

 しかるべき理由があったから、出会うべくして出会った。

 そして、しかるべき理由があったから別れるべくして別れた。

 更に、しかるべき理由があれば、きっと再び出会うべくして出会う。

 すべては絡まりあう因果の糸にしたがって起こる。

 そして、その中心に居るのは自分。

 自分に原因のないことは起こらない。だから、自分にふさわしくない幸運とは訪れないし、自分にふさわしくない苦難も訪れない。

 結局のところ、仏法とは自己を習うことなりという道元のことばがすべてを説明してあますところがない。

 だから、最終的に、他人のことはすべて手を離して委ねてしまうしかない。

 そして委ねるということが、もっとも大きな愛の形であり、信頼の証なのだと思う。

ダ・ヴィンチ・コードはキリスト信仰に対する脅威なのだろうか? 

 ダ・ヴィンチ・コードの映画化ということで、いろいろ話題騒然。

 そんな中、試写会でこんなことが。

トム・ハンクスが演じるロバート・ラングドンが、誰がイエスの子孫とみられるかを明かす重要な場面で、観衆は失笑をこらえきれなかった。タイムズ・オブ・インディア紙の記者は「ハイライト場面で笑いが起きた。大きな笑いでなく忍び笑い。それがすべてを物語っている」と話した。

時事通信


 あは、想像しちゃったよ~。

 確かにあのトム・ハンクスが「アレ」をもったいぶった表情で言ったら、うけるだろうなぁ。(読んでない人、ごめんなさいね。)

 さてさて、以下完全なネタばれ。(ちなみに"The Last Temptation of Jesus Christ"という映画のネタばれも含む)

 しかも、すっごく長いです。

 警告しましたよ?
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「なんぢらのうち、罪なき者まづ石を投げ打て。」 

気に障る人間がいる。  罪を犯した人間がいる。  どこだったか、こんなことばを耳にした。  「神さまでさえ、その人が死ぬまでは天国か地獄かは決めかねているんだ。だったら、なおさら人が人を裁くことなど、はたしてできるのかい?」
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どうもわからない 

 ルカ書にこんな箇所がある。

盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師に勝るものではない。…あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。


 さて、では、中略した部分に「しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる」という一文を挿入してみる。

盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師に勝るものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。


 なんだか、強烈な違和感。聖典というもは恣意的に解釈すべきではないのはわかっている。しかし、意味が通じない気がするのは自分だけだろうか。

 どうも気持ち悪い。

 本当に気持ち悪い。

坐禅レポォト その2 

 先日、参禅したとき、住職様に呼吸を注意された。高校時代に声楽を嗜んだせいか、意識すると長くて深~い呼吸になる。

 それでは駄目なのだと言う。

 そのことを注意されて、気づかず意識的に呼吸を力づくでコントロールしようとしている自分を見つけた。呼吸と言う根源的な営みにこそ、その人の人間性が現れるのだなぁ。

 自分は呼吸ですら「不自然」なんだ。だから、苦しいんだなぁと思った。「不自然」なことを考え、右往左往するから苦しいんだ。
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座禅レポォト その1 

 「そう…、何かいろいろ腑に落ちないんです。」

 「今日はどういったきっかけで座禅をやってみようと思われたのですか」という住職様の問いかけに、とっさに出てきた答えがこれ。

 言ってみて、あぁ、本当にそうかもしれないと自分で納得した。
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