心の注ぎどころ 

 心を注ぐ相手を間違えていたのではないか。

 ここ数日、折に触れてそんなことを何度も思う。

 本当に自分を大切におもっていてくれる人びとをないがしろにして、そうでないところにエネルギーを注ぎすぎていたのではないだろうか。

 こういうことを思うのは、たぶん心の中で注ぐべきものが枯渇してきたからなのかもしれない。

 心底疲れ、うんざりし、また悲しい。

 思いと言うものはだいたい通じないものだ。

 善意とはだいたい迷惑がられるものだ。

 愛情とはだいたい重たがられるものだ。

 だからこそ、人は日々努力し、工夫し、自らを変えていけるのだと思う。彼なりの、より良い心の注ぎ方を模索しながら。

 それでも、ある日限界が来る。

 もう無理かもしれない。

 そう感じる日が必ず来る。

 底なしの古井戸に石を投げ込むような不毛さを、自らの行為に感じて乾いた笑い声が心にこだまする。

 そして、本当に注ぐべきところに心を注がず、感謝すべき人にそれを捧げずにいた自分に気づく。

 ただ、すべてにおいて疲れ、自分を責め続け、そして傷つくことにうんざりする。

 そう、確かに多くは自分のせいだったが、自分のせいでないこともたくさんあった。そんな当たり前のこと、すべての人間関係はフィフティー・フィフティーであることに気づく。

 そうなのだ。本当に心を注ぐべきは、いま傍に居てくれる誰かであり、いま自分を支えてくれている誰かなのであって、遠くの誰かの後ろ姿では断じて無い。

 自分も幸せになりたいな。

 生まれて初めて、そんなことを思った。

読み返す 

 旧ブログの記事を、幾つか読み返してみた。

 下手すぎ。

 へこんだ。 orz

 毎日書いていると、多少はうまくなるらしい。それだけでも、ブログっておススメの趣味かも。

 そろそろ、旧い方は閉鎖しちゃおうかな…。

いじめとか 

 文部大臣宛に、自殺を予告する手紙が届いたと言う。

 その発想はなかったなぁと妙なところで感心した。

 一方、いじめを悪い行為だと認識するかどうかは、小中学生の間ではほぼ半々。

 いじめの末に自殺を考える子供のことを考えると胸が痛むが、それ以上に、いじめをすることに対して何の良心の咎めも感じられない子供の方の不幸の方が底知れないと思う。

 例の福岡県の自殺事件に関しては、いじめグループは標的を変えていじめを始めたらしい。

 我々は、途方もなく不幸な世界に住んでいるのかもしれない。

最近の教員ネタについて思う 

 最近、学校ネタでもめてるのが多いけど、これって要するに、教師に世の中が無駄に期待しすぎだからこういう話になる気がする。
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部活だとか出席率だとか 

自殺中2女子、前日の朝練欠席をクラブ員が非難

 岐阜県瑞浪(みずなみ)市の市立中学校2年の女子生徒(14)が自宅で首をつって自殺した問題で、自殺した今月23日に、女子生徒が、所属するバスケットクラブの練習を巡って、他のクラブ員から「無責任だ」などと非難されていたことがわかった。家族らは「このことが、自殺の引き金になった可能性もある」とし、学校側に当日の様子などの調査を求めている。

 家族らによると、自殺前日の22日にクラブの練習があったが、女子生徒は「練習には出たくない」と言って、病気で入院していた祖父の見舞いに行くため、練習を休んだ。23日は、朝練習に参加したが、他の複数のクラブ員から「22日の練習を休んで無責任だ」などと、非難されたという。自殺後に家族らが、女子生徒の友達からこの模様を聞かされた。
(読売新聞) - 10月30日13時39分更新


 高校、大学と通じて部活に関してはほぼ皆勤賞だった。

 しかし、それは単に自分が行きたかったから。

 出席率が悪いメンバーというのは、どのような団体にも居るものだ。そして、たいていは、そういう人たちを責める方向に話が進んでいくものだ。

 でも、そういうのは本末転倒だと思う。

 出席率向上というのをクソ真面目に議論している団体に限って、メンバーが来たくなくなるような活動をしているものだ。だから、本来こういったモチベーションの問題は、他人を責める前に自分を責めるべきだと自分は思う。

 そしてこのことは、他のあらゆる団体にも当てはまるのではないだろうか。

 一部の人間のやる気が空回りして、その他大勢をげんなりさせるような団体には、あまり将来性はないと判断したほうがいいと自分は思う。

デス・ノートのリアリティ 

 ネット時代のリンチとして、犯罪者、もしはそれに準ずるものの個人情報が晒されて有形・無形の嫌がらせを受けるというものがある。

 たとえば、今回の福岡・中2自殺問題に関しても教員の実名、住所、氏名、年齢、メールアドレス、電話番号にはじまって、いじめに加担したクラスメートたちの実名、さらには教員の娘の名前と登校先まで晒されている。

【福岡・中2自殺】 「あいつ死んで、せいせいした」 いじめ同級生、自殺生徒の葬儀で笑いながら何度も棺をのぞきこむ

 こういうことはしてはならないと思う。

 なのに、今回ばかりはこういった「祭り」を容認…いや、それどころかそれに対して共感すら覚える。この教師やクラスメートは徹底的に晒されて、徹底的に苦み抜いて死者の霊に詫びよと思ってしまう。ザマァミロと。(娘の名前が出ているのはやりすぎだと思うけど)

 そう思ってはならないということはわかっているのに…。

 これって、要するにデス・ノートの提起する問題なのかなぁと、ふと思った。

 世の中って複雑…。

他人事 

 思うんですが、基本的に他人のことってみんなどうでもいいんですよ。原則としては。

 どうでもいいというより、結局、自分が最優先だから。そして、それはいいことなのだと思う。

 わかって欲しいというのは甘え。

 他人を理解するなんて、そんなしんどいことしているヒマなんて無いのだから。

 自分以外の誰かに幸せにしてもらおうってのも甘え。

 まずはみんな自分が幸せになろうと一生懸命だから。

 でも、でもね。

 それでも本気で理解しようとしてくれたり、幸せにしてくれようとしたりしてくれる人が、ごく稀にいるわけですよ。

 基本的に他人事の世の中だから、だから、そういう人が本当にありがたいんじゃないのかなぁと、最近、思うのであります。

 そして、ここが重要なんだけど、そういう人って、一回別れちゃえば、ほとんど次は会えないんですよ。だからこそ、絶対離しちゃいけないなぁと、俺なんかは思うんだけどね。


今日のヒット

安泰寺

こちらのお寺のホームページ、異様に面白いんですよ。特にメルマガの過去ログとか。なんでも、住職様がドイツの方っぽいですね。

fladdict.net blog: はてぶがドンドン馬鹿になっていく

 追記の箇所が痛快。

イミフwwwうはwwwwおkwwww べジータと同じ部屋に閉じ込められました(´д`;)  その1

 これはすごい。