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無免許教師事件に思う 

 先日の無免許教師問題だが、いろいろ思うところがあった。

 なんでも、彼は生徒たちには慕われていたようだ。また、校長の眼から見ても、優れた授業を行っていたとの事。

 資格詐称の動機とは、「教師になりたい」という想い。

 教員資格ってなんだろう?

 そもそも、人を教えるのに資格がいるようになったのはいつからだろう。親が自分の子供を託す師を、自分の眼で選ばなくなったのはいつからだろう。

 いつからだろう、人々が知者を見分けることを諦めたのは。国に保証された紙切れ一枚を、自分の眼識に優越させるようになったのは。

 教員資格を持っていながら、反吐が出るほど愚劣で矮小な人間を、我々は義務教育の中で腐るほど眼にしなかっただろうか。それでも、「資格」を信仰するのはなぜだろうか。

 賢者は証を持たない、つくられるものでもない。知恵は所有できるものでもなければ、植えつけられるものでもない。賢者は見出されるもの。知恵は見つけ出すもの。

 老子に、「弟子の準備ができたとき、向こうから師匠がやってくる」というような主旨の一節があるそうだ。師となる準備ができたとき、人は弟子を必要とする。弟子となる準備ができたとき、人は師を必要とする。出会いはすべて必然。神が互いに相応しいものを、相応しいときに結びつける。

 学校や教育制度に何か過剰なことを期待するのは馬鹿げた話だ。せいぜい、浮かないで済む生き方が染み付くだけだろう。それに値しない親子が、賢者にめぐり合うことはないだろう。ピラトがイエス、その人を目の前にして、「真理とは何か」と問うた。眼があっても見ず、耳があっても聴かぬ者には、世界は何も与えないだろう。

 「知」の習得を保証したいという惨めな死すべき者たちの足掻き。宗教をつくり、国家をつくり、大学をつくり、学校をつくり、そして教員資格をつくった。そして、何か安心した気持ちになったのだった…何か違和感を常に感じつつ。

 それは社会がいびつだからか。それとも、われわれが自信を、世界に対する信仰をなくしているからなのか。毎年、「教員資格者」をはじめ、学士だの修士だの博士だの…いろいろ生産されて、はたして世界は少しでも賢くなったのだろうか。

 結論?…そう、強いて言うならば、ようはあらゆるところで真の祈りが不足しているということだろう。
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コメント

資格制度になったのは、明治時代ですね。

帝国大学卒業者は弁護士などに無試験でなれるという特権をぶら下げたり
学校で習うものを資格試験に直結させることで
学校が職業と関連するように仕向けたわけです。

これが軌道に乗ったのが、明治30年代でしょうね。
義務教育就学率が飛躍的にアップしたんですけど
一般大衆にも非実用的なものを学ぶ学校が
「立身出世への道」だということを知らしめた結果といえましょうか。
明治政府の策略がうまくいった、とね。
日本の選抜システムはとってもトリッキーです。

こんにちは。

「ようはあらゆるところで真の祈りが 不足しているということだろう」

ほんとうに。
あらゆるところに心ある大人が不足しているのでしょう。
言葉を磨いて、声をあげ続けていかなければと思っています。
「まっすぐは届く」と信じて。
寝太郎さんは寝太郎さんの言葉で、ね。

職業と学問

>とよさん

 職業と直結するような知的技能と学問的知的営為が分かちがたくごっちゃになっているのが、いまの日本の大学教育だなぁということをよく思います。

 完全に両者をスパッと分けることはできないでしょうが、一方で既存の大学教育が多くの生徒が求める社会的技能の習得という観点からいえば無用の長物と化している…少なくともそういった需要に応えきれていないのは確かだと思います。

 とよさんの文脈でいうならば、学校と職業との関連性がどんどん希薄なものとなっているのに、職業の為に多くの学生たちは大学に入学し、失望し、そして何かを得ようとチャレンジすることをやめなんちゃって大学生になってしまう。とても、残念なことですが、おそらくこれが日本の大学の現実でしょう。

 いま必要なのは、いっそ大学を職業学校として再編成するか、それとも高校卒業後の進路として、大学とは別の職業訓練機関を制度的に拡充・充実すること。更に、大学卒というのをひとつのステータスとして扱う妄想を社会的に駆逐することだと個人的には思っています。

ことばの大切さ

>あつこさん

 そうですね、たとえどんな愚かなことでも、自分に見えていることをひるまずに誠実かつ謙虚に語り続けるのが大切なことなのだと思います。

 …ぜんぜん関係ない話ですけど、さっきある人にひねくれた嫌なことばを送ってしまって、少し反省しているんです。「まっすぐ届く」と信じられなくなると、人間ロクなことをしないものです。

昨日書いてから

考えたのだけど、言ったことでも書いたことでも、それを発信した時の自分の気持ちがすべての人に伝わらないから人間関係が破綻しないという部分もあるのかも。自分の考えてることが全部相手にわかっちゃったらヤバイ、でしょ?(笑)

そうですね~。学歴や職歴より
「学校歴」が重要なファクターとなる現実も、
>職業と直結するような知的技能と学問的知的営為が分かちがたくごっちゃになっている

のに寄与してるのかもしれませんね。

「学校と職業との関連性」の希薄さは、学生紛争あたりで
学生が問題提起したけど、諸外国とは違い
日本は大学改革を真剣にしなかったから
今頃ツケがやってきたみたいですね。

「職業系大学院」という形で改革が進んでますけど、
アメリカのように、蘊奥の窮理を目指す大学院とが共に認め合えればいいけど
日本だと、後者が前者を見下すような感じにならないかなあ。。。

サトラレ

>あつこさん

 あぁ、それはあるかも。

 あるかもってゆ~か、もし発信したときの気持ちが100%相手に伝わるようになってたら、俺なんか友達の6割なくしそう。(笑)

 

職業系大学院

>とよさん

 >アメリカのように、蘊奥の窮理を目指す大学院とが共に認め合えればいいけど
日本だと、後者が前者を見下すような感じにならないかなあ。。。

 なると思いますね。そういう世知辛い世の中ですから。

 さらに、前者の種類の学問に携わっている人々が、僕に言わせれば不甲斐ない。ほとんど引きこもりもいいところですよ。おかげで、いまや世の中、どーしようもない猿なみの自称知識人たちが我が物顔でテレビやサブカルを利用してのさばってしまっています。もっと、外の世界に出て喧嘩をしてくださいと…僕なんかは教授にいつも言ってるんですけどね。(笑)

 だいたい「大学」って概念でひとくくりにしようとするから、面倒なことになるんじゃないかなぁと思います。

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