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坐禅レポォト その4 

 色々迷いは尽きず、5年ぶりに、人生で最も辛かった時期にお世話になった駒込の霊樹院の坐禅会に先週参加した。その際の方丈様の言葉で印象に残ったもの。※あくまで私の記憶に基づくものなので、正確さを欠く個所があるかもしれません。

・「修行をしようがしまいが、死んだら同じ。スッと楽になります。ただ、生きている間に気づけると、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ生きるのが楽になります。」

・「自分の事を言うのはおこがましいですが、明治維新以降建長寺(※安藤注 鎌倉五山の筆頭となるめちゃめちゃ有名なお寺です。)で法を継いだのは私を含め二人だけです。しかし、それでも今回の病気では駄目でした。苦しかった。本当に痛くて苦しかった。死にかけました。血を吐きのたうちまわりました。これまでの修行は何の役にも立たなかった。悔しかった。だから、皆さんは私のような者をみて修行してはいけません。そうではなくて、私の見ている先を見てください。すべて、皆さんひとりひとりの中にあります。」

・「(参加者からのヨガの印を結んで坐禅を組んではいけないのだろうかという質問に対して)あるインドでも随一とされているらしい高名なヨガのマスターが建長寺を訪れた時の事です。彼は"ヨガでは瞑想中サーッと光の粒子が体を突き抜けて光の流れと自分が一体化する事を最高の境地としているが、禅ではこうした境地をどう位置づけるのか"という質問をされました。その際、私が言葉を選びながら申し上げたのは"それはactionではなく、単なるreactionです。"という事でした。同時に、この程度がインドで最高という事は…以下数節記憶が不明瞭… まともに修行をしている禅僧ならば、誰でもそうした経験はしている。私も修行を始めたばかりの頃、坐禅中に何かこう、意識がすっきりと世界のすべてと一体化したような感じになり、”これが悟りか!”と急いで師のところに報告に行ったものなのですが、"出直してこい"と完全に門前払いでした。…えーと、何の話でしたっけ。笑 あぁ、そうそう、ですので、このヨガの印…私はこういう形で座った事はありませんのでわかりませんが、まぁ、これから始める方は教えた形で座ってみてください。」

・「心臓や肺と同じように、脳もまた臓器です。活動を止めたら死んでしまいます。だから、坐禅をしていて次から次へと色々な考えが浮かぶのは、生きている限り当たり前の事です。だから、初念は追わずといい、思い浮かんだ事は追わずにそのまま呼吸に溶かし込んでいってください。二念、思い浮かんだことから、それを追ってあれこれ連想してしまう、これを雑念といいます。坐禅を始めたばかりの方がやりがちなのが、"あ、また雑念が浮かんだ、集中しなくては"と想いが浮かぶごとに反応してしまい、それを追ってしまう事。そういう時は、とにかく追わずに、スッと呼吸にすべてを溶かし込んでいってください。」

駒込の霊樹院というお寺です。興味ある方は今度ご一緒しましょう。
http://www1.tcn-catv.ne.jp/reijuin/

坐禅レポォト その1
坐禅レポォト その2
坐禅レポォト その3
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