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評価すべき「努力」とは 

 仏教の「因果応報」という考えは福音だと思う。結果には必ず原因があり、善因は必ず善果をもたらし悪因は必ず悪果をもたらす。

 つまり、人間は自分の人生の主であり創造主となり得る。

 この世界をどのようにも生きていけるし、変えても行ける。

 そういう救いが「因果応報」という言葉にはある。

 これは裏返すと、今の自分の満たされない状況も、すべて自分に原因があると言う事。

 更に言えば、自分が望んで今の境遇にたどりついたという事。

 これが救いでなくて何であろうか。

 さて、ビジネスは結果だと言う。

 営業は数字だと言う。

 昔、あるオリンピックメダリストの講演を聴いたとき、「私は試合で勝つ為の練習方法を考え、実践し、そして勝った。だから勝つのは当然。」と言うような事を言った。発言をしていた。

 その言葉が非常に印象に残った。

 求める結果があるならば、それを達成する為の方法を考え、実践せよ。

 ただの漠然としたルーティンワークを努力とは呼びたくない。

 企業において売上と顧客満足に直結しない営みは、極言すればすべて無駄。だからやるべきではないし他人に奨励すべきでもない。

 更に組織の話を続けるならば、いい組織とそうでないものを区分する最大のポイントは、いかにその組織が達成すべき「価値」が明確に定義・共有されており、それらを実現する為のプロセスにおいてその実現と因果関係が存在しない行為がどれだけ排除されているかだと思う。

 まずは求める結果を把握し、そこから逆算して必要な行動を割り出し、そして実践する。

 その過程にある営みを自分は「努力」と呼ぶし、それ以外のいかなる営みもそれに値するとは思えない。

 だから、「因果応報」なんだ。

 だから、結果を本気で出したいと思っているのならば、結果が出ないと言う事はあり得ない。

 世界は意外と優しく出来てる。

 だから、「努力」しよう? ね?
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