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06/11のツイートまとめ 

slumber365

「戦争はいつもインテリが始める」 あぁ、これは名言だ。やはりガンダムはいい。
06-11 23:19

っていうか、そもそも仕事って「生きる為に生きる」営みだし、あらゆる組織、国家も突き詰めればそうした目的の為にある。そこから遊離して革命だとか人はパンのみに生きるものに非ずとか言う連中の声がでかくなると、だいたいろくでもない事が起こる。あぁ、今日もご飯が食べられて幸せ♪
06-11 23:14

そういえば、尾崎のダンスホールの歌詞…「金がすべてじゃないなんて、きれいには言えないわ」。「生きる為に生きる」という悲哀の裏に生命のしぶとさというリアリティとナマの、本物の人生がある。「形而上学が終わり生活が始まった」という『罪と罰』の結びが僕は好きだ。
06-11 23:08

最近、尾崎豊の最高傑作は「ダンスホール」だと思うようになった。耽美的な尾崎の作風と、舞踏の刹那を貪る間に少女が垣間見せた悲しみへの優しさ、そして共感の絶妙なバランス。「そうさお前は孤独なダンサー」http://bit.ly/cRwknc
06-11 22:17

そう、イエスは偶像に対して戦った。それは「教え」への依存に対する戦い。彼は人々に自らの足で立ち、自ら神と向き合い、自らの責任で生きるように促したのだ。それは、それぞれが自分だけの物語を歩み、輝き、幸せになって欲しかったから。…たぶんね。
06-11 21:53

「やりたい事やって生きていけるほど世の中甘くない」とはよく言うが、そもそもその「やりたい事」をやってみた事もない人々がそれを振りかざして自分の不幸を正当化しつつ出る杭を打つ姿はとても哀しい。
06-11 21:35

たぶん、宗教と言うのは神と共に生きた人を失った時に、その周りの人たちがその喪失感を埋め合わせる為に「つくりだす」ものなんだ。それは結局、その人に対する依存の偶像化にすぎない。それこそ偶像崇拝の本質。いつしか、偶像だけが独り歩きし、空虚で人を縛り、裁く「宗教」となる。
06-11 21:27

神は信じるとか信じないの問題ではない。そこにいるものだから。と、さっきから宗教的なツイートをしつつ、自分はクリスチャンではないし、何かの信者でもない。
06-11 21:23

高校時代に「外人の宣教師に聞いた。「神が人として生きたのがイエスだったのなら、彼もまた迷い罪を犯したのか?」と。彼女は「イエスが過ちを犯すなどあり得ない」と言った。13年経ち、違うと思う。人として生きる事は、迷い過ち苦しみ、それを乗り越えて行く事。そこにこそキリストの受難がある。
06-11 21:22

イエスは神と語り、神と歩み、神と議論し、神と反目し、最後に神と和解し、十字架を選んだ。彼は何一つ「教義」は説かなかった。ただ、神の方に向き直るように、自らの根源性と向き合って生きる事を促しただけだ。そして、ただひたむきに純粋なまでに愛しただけだ。
06-11 21:16

イエスも仏陀も宗教をつくったわけではないことに注意。教祖ではなかった事にも注意。そうではなくて、彼らの人生は宗教との戦いだった。彼らは間違っても宗教家ではない。それを忘れてはいけない。
06-11 20:38

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