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しなければならない 

 「~しなければいけない」

 いろんな「しなければならない」をひとりひとりが抱えて生きている。

 しかし、実はそれらの「しなければならない」とは、自分自身が好き勝手に決めているものであったりする。

 色々な人と話す中で、この人は重症だなぁと思うのが、「だって、それをするのが当たり前」、「社会人なんだからそれくらい出来なきゃ」と言った形で、自分で決めたマイルールがあたかも法律であるかのように自分自身を縛っている人。

 恐ろしいもので、本来「当たり前」というものは「その人にとっての当たり前」でしかないのだが、それが自覚出来ていないと、自分で自分を縛り、そしてその縛りで他人をも縛り、苦しめることになる。

 先日、隣で飲んでいた女性二人組が「付き合っているんだから、~してくれて当然」的な彼氏に対する愚痴を延々としていて、それに対して僕は「そりゃあ、アンタの常識だろ」と心の中で突っ込みながら可愛くフルーツ系のカクテルを前に一人でにんまりしていたのだが、この手の思い込みというのはやはり不幸だと思う。

 哀しいかな、人は誰もが好き勝手に生きるもので、しかも致命的な事に、基本的には変わらない。変わるにしても、それは大陸移動と同じような深層からの遅々としたプロセスによって数年単位をかけて行われるもの。

 つまり、我々は我々にとって「非常識極まりない」多数派に誰もが包囲されつつ生きる星の下に生まれており、結構な確率で身近な人間が非常識人だったりするわけである。

 だから、結局人間関係をうまくやっていくコツのひとつは、自分の「~すべき」、「常識」、「当たり前」が実は単なるマイルールであり、非常にローカルなものだとわきまえておくことなのだろう。

 正義の反対は別の正義であるという名言は、確かクレヨンしんちゃんの父親のものだったと思うが、誰もが自分が正しいと思って自分を縛り、そして他人を縛ろうとする。だからこそ、自分のそれをあまり深刻に受け止めず、また他人のそれを暖かくおかしみとして見守ってあげる思いやりがあると、いろんな意味で世界が優しくなるんじゃないかなぁと、ふと思ったので書いてみた。
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