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柴田淳さんの新曲"Love Letter"を一部分だけ聴いた 

 聴き間違いがなければ、こんな歌詞。

いつかあなたが死んでいっても
私なら大丈夫
ずっと前から一人だった
あなたを愛した時から
たとえ私が先に逝っても
あなたなら何も変わらない
振り返らないで生きていけるわ


※試聴はこちら

 まぁ、全部をきちんと聴いたわけではないので詳細なコメントはしない。

 ただ…なんか、たったこれだけのフレーズを聴いて、涙がこみ上げてきた。

 切ないとかそういうんじゃないんだ。

 なんだろう、この悲しさ。

 痛みでもなく、苦しさでもなく…ただ、涙がこみ上げてきた。

 なんだろう。

 うまく言葉に出来ないけれど、もし彼女が僕の友達だったり、或いは家族だったり恋人だったり、そんな身近な存在だったとしたら、僕は彼女をひっぱたいている気がする。何かを伝えたいんだけど結局言葉が出てこなくて、でも何か伝えたくて泣きながらひっぱたいている…そんな気がする。

 なんだろう。

 たぶん、世界というのはいつも陽の光の射したとても暖かく優しいところで、そしておそらく柴田淳さんはそういうことを漠然とわかっていながらも、それでも…それでも一人で生きる人なのかなぁと、そんな事をふと思ってしまった。

 また、思うんだよな。こういう、「ひとりであること」を突き詰めて昇華させることで表現していく人にとって、「ひとりでなくなる」ことってどういうことなんだろうって。あるいはどういう人とならふたりでいられるんだろうって。

 あるいは、彼女の世界そのものを外からぶち壊して、強引に陽のあたるところへと引きずり出してくれるような人なのかもしれない。でも、それは彼女が創作し、そして表現し続けてきた「柴田淳」という作品が砕け散る事でもある…そんな気がする。それは、今までのひとりである「柴田淳」という作品が終わる日。女性柴田淳は、作品「柴田淳」の終わりを本当に望むだろうか。

 こんなワンフレーズ聴いただけで涙がこみ上げてくるものをつくれてしまうって…たぶん、とても幸せであると同時に哀しいことなんだと思う。

 柴田淳さんが女性としての一般的な幸せに辿りつけるかはわからない。けれど、間違いなく彼女の歌は後世に残ると思う。それは、究極的に個人的で、であるがゆえに普遍的だから。いつの時代もきっと変わらないひとりであることの悲しさが満ちているから。

 こんな自分自身をさらけ出す歌詞、普通の人じゃ怖くて書けない。少なくとも俺には書けない。どうしても防衛本能が働いて表現をぼかしたりだとか、曖昧な言い方になってしまう。とてつもない才能だと、一見平凡な柴田淳さんの口語の歌詞を読むたびに、いつも思う。

 アマデウス(Amadeus)…モーツァルトのミドルネームにして、「神に愛されし者」という意味。柴田淳という人も、モーツァルトとは全然違ったタイプながら、たぶんアマデウスなんだろうなぁ。そして、神は愛する者にこそより多くの試練を与えるもの。才能と孤独が必ずしも隣合わせなわけでは無いけれど…。

 …あぁ、馬鹿馬鹿しい!! ってか、なんで俺はこんな会ったことも無い人のことを心配してるんだか。(笑) しかも、肝心のこの曲だってまだワンフレーズしか聴いてないのに。

 寝よ。
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Love Letter

明日発売のしばじゅんシングル、フラゲしたよ{%うれしい(ルンルン)hdeco%}
  • [2009/10/08 22:02]
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