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おじちゃん 

 物心ついたころ、おじちゃんは既にそこにいた。

 家から徒歩2分。個人経営の昭和なスーパー。そこのレジ打ち・管理人。

 ごま塩のひげ、少しこけた赤ら顔、曲がり始めた腰…もう80は近いはず。

 10キロは軽くありそうな大根やさつま芋の箱を、今日も出し入れしてる。僕が出勤する7時にはもう働いている。帰宅する22時にも働いている。雨の中でも。

 彼は奉公人だと祖母は言う。東京西部には、平成の今でも大地主が多い。おじちゃんはそんな封建的遺物の生き証人。ただ働きも同然で、家も地主の土地のボロ小屋。インテリ左翼が本来真っ先に駆けつけるべき人だけど、そういう人たちはここには来ない。

 「おじちゃん、おはよう!」

 「おじちゃん、こんばんは!」

 そんな挨拶を交し始めてかれこれ20年以上。でも、僕はおじちゃんの名前を知らない。おじちゃんはおじちゃん。これからもきっと、おじちゃんはおじちゃん。

 休日ぷらついていると、時折、「今日は仕事休み?」とか、「少し痩せた?」とか、「寒いね」とか声をかけてくれる。でも、歯が抜けてきたせいか、正直聞き取れないことが多い。

 最近気づいた。

 帰宅時、「おじちゃん、こんばんは!」と声をかけると、「おかえり」と言ってくれていることに。

 知る限り、おじちゃんには家族はいない。知る限り、いたこともない。子供のころ、新潟から奉公に来て以来、ずっとここ。

 どういう想いで、「おかえり」っていってくれてるのだろう。少し気になった。

 明日「ただいま」って言ってみようかな。

 そんなことを、ふと思った。
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