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好意を受け止める能力 

 人からの好意を受け止めるキャパシティというものがあると思う。

 それは与えられたものに対して感謝する能力。

 それは与えられたことに対して負い目を感じない能力。

 それは大きなお世話の背後に潜むものを見抜き、それに心を開く能力。

 与えられることに喜べない人というのが時々いる。

 与えられた際、それを受け止めることよりも、それに対するお返しをしなくてはならないという義務感が先立ち、憂鬱になるタイプ。

 それはとても不幸なことだと思う。

 もらったらもらいっぱなしでいいはずなのだ。

 なぜならば、与えるという行為は、それ自体のうちに喜びが秘められていて、見返りを求めてのものではないからである。いわば、与えた時点でその行為は完結している。

 受け取ることそのものが充分なお返しになる場合もあるのだ。そのことに気づかないのは、とても不幸で悲しいことだと思う。

(ちなみに、見返りを求めて何かをやり取りすることを、世間では取引と呼ぶ。これは与えるということではない。)

 もちろん、受ける好意の中には、どうしても嬉しいと思えないものもあるだろうし、受け取りたくないと思うものもあるだろう。

 それは当然のことだ。

 ただ、最近思うのだ。

 ある人間の運・不運や人望というものは、受けた好意に対してどう対応するか、あるいは好意に対するキャパシティと大きな相関関係があると。

 年末。それはたくさんの人と再会し、絆を暖め合う季節。

 折に触れて、自分が受けているものの大きさを噛み締めてみるのも、いいかもしれない。
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コメント

キャパシティですか

なるほどそんな考え方もありますね。
でもそれは、先天的なものではなく、好意を受け取ることに慣れることで伸ばせる能力なのでしょうね。

臨済宗の言葉に「自利利他」(自利とは利他をいうと読みます)というものがあります。
つまり、好意を与えた側からすれば、なんのことはない、自分にも良い事をしているんだと思えば良いのです。
(ホントはこんなに簡単な言葉ではありませんが)

相手の立場に立って好意を受け取り、そのお返しは他の人に好意を与えることですれば良いのでしょうね。
映画の「ペイ・フォワード」のように。
それが理想的じゃないかと思います。

「自利利他」

>ottoさん

 このことば知りませんでした。

 いいことばですね!勉強になります。

 なんか、結構自分はへそまがりで、いろんな人の好意に対して大きなお世話だとか思っちゃうところがあるんでよね。
ほっといてくれみたいな。

 ただ、最近、黙って受け取るだけでもまぁ、ある種功徳をつめるところがあるんだなぁということを実感することがありまして、こんな文章を書きました。

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