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日本版オーマイニュースのリストカット 

 オーマイニュースが手首を切った。

 これまで、オーマイニュースはブログ形式だった。つまり、実名の記事投稿とそれに対する匿名のコメント、この二つの言論の場を提供していたのだ。
 これを、実名による発言に一本化するという。要するに、匿名による一切の発言を排除すると言うことだ。

 この決定をオーマイニュースがくだすにあたって、彼らは一般の意見を公募した。しかし、それは茶番に過ぎなかった。

平野デスクは私に対し、ミーティングの場で「とりあえず意見を求めたという形だけを作れば、それでOKなんじゃないの?」と言い出した

平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下)



 最初から結論は決まっていたのだ。

 詳細は、佐々木俊尚氏の文章を一読いただきたい。

 匿名のもたらすネット特有のドロドロと無秩序な、しかし煮えたぎったことばの渦に、ナイーブで温室育ちなインテリがヒステリーを起こしたようだ。彼らはネットに対して一体何を求めていたのだろうか。朝日新聞の声に載るような、優等生の作文だろうか。

 人の心に届くことばには、一つ必ず満たしていなくてはならない条件があると思う。それは、それが真実のことばであることだ。書き手の最もギラギラした臓腑のてかりや臭いがそこに滲み出ていることだ。

 そして、往々にして人の真実とは、そのままではグロテスクで悪臭を放つものだ。芸術としての文章力という能力の定義をするとしたら、それはそうした醜悪な真実を美しい洗練へと昇華するスキルだと自分は思う。しかし、人びとの大半は芸術家ではない。ゆえに、人びとの真実のことばとは、グロテスクなものなのだ。

 だから、人びとは本音をそうやすやすとは語らない。自分の臓物を人前でぶちまける馬鹿がどこにあろうか。

 しかし、それを可能にしたのが顔の見えないネットだと言うことを忘れてはならない。これまで取り繕った仮面の下にしまわれていた人びとの真実の声が、ようやく世界へと産声を上げ始めたのだ。

 なるほど、確かに一見、2ちゃんねるに代表されるような匿名の領域での言論は、ショッキングなまでに殺伐として、無秩序で、荒廃しているように見える。

 しかし、それは木を見て森を見ていない。

 むしろ自分は思う。それらのことばややり取りは、そのグロテスクなまでの生々しさゆえに価値があると。

 こうしたナマの真実のことばがネットという舞台でぶつかり合い、血を流しながらもひとつの大きなうねりを生み出していく。参加型ジャーナリズムとは、本来こういったものを目指していたのではなかったのか。

 ネットをベースにしたジャーナリズムと、既存の純粋な受験秀才君たちが愚民を啓蒙するジャーナリズムとは、そもそも根本的な発想が違う。そもそも、ネットでは啓蒙という行為自体が成り立たないのだ。

 オーマイニュースは匿名のコメントをすべて排除することにした。彼らは境界線を引いたのだ。匿名ゆえに初めて現れるサイレント・ヴォイスを、言論圏より排除したのだ。

 かくて、素人による天声人語もどきの寄せ集めが出来上がり、市民ジャーナリズムは今や死に瀕している。だが、死に行く当人は、手首の切り傷にも、そこから流れ落ちる大量の血液にも、まるで気づいていない。つかの間の安心と見せ掛けの秩序という麻薬を打っているから。

 オーマイニュースは手首を切った。やはり、ネットの外から来た人びとには、期待できないのかもしれない。


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書評 呉連鎬 『オーマイニュースの挑戦』
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「ゴミため」、「2ちゃんねらーという輩」という認識~オーマイニュースは死んだのか?!~

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  • [2006/11/28 11:25]
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