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もし核兵器保有を議論すること自体を非難するとしたら 

 もし核兵器保有を議論すること自体を非難するとしたら、それはどのような前提の下で可能だろうか。

 核兵器は特殊な兵器だ。

 それは人類そのものを消し去る。そこが、他の通常兵器と核兵器の決定的な違い。核兵器は人びとを殺すだけではなく、その歴史、人類が存在したと言う痕跡そのものを宇宙から抹消する可能性を持つ兵器なのだ。

 そういった意味で、絶対悪と言える。

 現実的な国防の観点から核武装を検討すると、そのメリットは抑止効果。つまり、撃ってきたら撃ち返すぞという暗黙のメッセージを他国に与えることによって、核兵器を自国に使用されることを避けるというメリットがあると言われている。

 しかしながら、例えば北朝鮮が、何らかの手違いによってわが国が全滅する規模で核ミサイルを発射したとする。ミサイル防衛の技術が実用レベルからほど遠い現在、果たしてここで撃ち返すことに何のメリットがあるだろうか。

 自らが滅亡することの報復として、罪も無い朝鮮半島の人びとを道連れにすることに、いったい何の意味があるのだろうか。ましてや、一歩間違えば核の連鎖によって人類そのものが滅亡しかねない。

 抑止戦略による国防とは、つまるところジェノサイドに対してジェノサイドで、したがって犯罪行為に対しては犯罪行為で報いると言う理屈のうえに立っている。

 核兵器を保有すると言うことは、我々はいざと言う時には敵国の民間人を虐殺し、更には人類の生存そのものを危機にさらすことも辞さないというメッセージを世界へ向けて発信することに他ならない。

 日本民族が滅びるのであれば、相手国や人類そのものも共に滅びるべきだと言う価値観とは、果たしてゆるされるものなのだろうか。

 もしも核武装そのものを議論すべきでないという論理が成り立つとするならば、そうした価値観を否定するという前提のもとで、初めて成り立つのだと思う。

 ちなみに、自分は核武装反対論者である。
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