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Mrs P. 

 スイス、バーゼルのインターナショナルスクールに通っていたころの話だ。

 だいたい9歳から11歳くらいにかけて、恐ろしく荒んでいた時期がある。現在、学級崩壊だとかが話題になっているが、そういうのの中心に自分はいた。学校で傷害事件やら、乱闘騒ぎやらを起こしたこともあったし、尾崎豊の歌ではないが、夜の校舎の窓ガラスに石を投げて割ったこともある。親ともうまくコミュニケーションがとれず、喧嘩ばかりだった。父も母も口より先に手が出るタイプなので、なかなか凄惨な事態にも時には陥った。妹にも当り散らしてばかりだった。

 とにかく目に付くすべてが気に食わなかった。大人たちのしたり顔がムカついてしかたなかった。クラスの連中の大半を軽蔑していた。だから、友達もいなかった。向こうが勝手に友達だと思っているってパターンはいくらでもあったけど。

 Mrs P. はそんな時に僕の担任になった人だった。離婚したばかりで、なんだか見るからに幸薄そうな人だった。本来、担任となるはずだったのはDという名のブロンドの先生だったのだが、産休で彼女が代理に来た。

 向こうの教育制度ではGrade6というのはひとつの節目らしく、カリキュラムなどもそれまでと較べて一変した。Mrs P.が担当したのは英語と音楽。英語といっても、作文、文法、読解、書き取り、さらに創造的作文(creative writing)と、幾つかの種類の授業がある。それまで、宿題というものをほとんど出されたことがなかったのに、進級した途端にどの授業でもやたらと宿題が増えた。中でも、Mrs P.の授業は、大量の本を読まされたり、やたらと作文の課題を出されたりと、とにかく量が多く感じた。

 代理ということもあり、Mrs P.の授業はなんとなくぎこちなかった。おずおずとして自信というものが感じられないのだ。ましてや宿題が多い。格好の教員いじめの対象だった。とにかく、まず宿題の量が気に食わない。だから、授業なんかもまともにうける気はさらさらない。授業が始まるなり第一声、「先生、この宿題意味ねぇよ」と一大演説をやる。周りも内心そう思ってるから、むしろはやし立てる。一旦流れに乗ってしまえば、学級崩壊なんて簡単。要は気迫と傲慢さの問題だ。

 Mrs P.はそんな生徒たちに対して、愚直に対応しようとしていた。そんな彼女の態度に僕は苛立ち、煽動はさらにエスカレートした。しかし、いま思うと、Mrs P.はとても誠実で優しい人だった。僕のことを本当に気にかけてくれていたと思う。特に授業の課題で書いた詩や物語をよく褒めてくれた。しかも、おざなりの褒め方ではなく、きちんと読んで、理解してくれたうえで褒めてくれた。また、ことあるごとに「日本語の勉強が大変なんじゃない?」と気を遣ってくれた。僕はあの人が嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。ムカついたけれど、でも心のどこかで彼女に甘えていた気がする。

 途方もなく子供だったのだ。自分の中で荒れ狂うなにかを抑えることができなかった。多分、内心では巨大な力でたたき伏せられるのを望んでいたのだと思う。正面から受け止めてほしかったのかもしれない。でも、僕の荒れ狂う猛気を迎え撃ち、なおかつ圧倒してくれるような大人は身近にいなかった。子供は気づかないものだ。大人というものが、案外弱く、時には自分たち以上に傷つきやすい存在であることを。甘えたい盛りの僕は手当たり次第大人たちに反抗し、ぶつかって行った。そして、誰もが手を焼き、僕をもてあました。僕はあらゆる授業を妨害し、あらゆる教員に喧嘩を吹っかけた。

 結局、僕はその学校を退学になった。直接のきっかけは、居残り中にMrs P.と口論になり、キレて辞書を投げつけ取っ組み合いになったことだった。幸い、数名の教員に僕が押さえつけられたことで事なきを得たものの、僕は確かにあの時、Mrs P.を殺してやろうと思った。校長代理のTは、あっさりと僕を退学させた。後から聞いたところによると、Mrs P.は最後まで僕を庇ってくれたという。が、当時は知る由もない。幸いにして、父親のオランダ転勤が決まっていたので、引越しまで3ヶ月ほど、長い休みをすごした。せいせいすると同時に、なんとも嫌な気分だった。

 クラスメートの反応は様々だった。手のひらを返すように冷たくするやつもいれば、反対に「よくやった」といった感じでヒーロー扱いしてくれるやつらもいた。忘れられないのが、Kという当時好意を抱いていた巻き毛のアメリカ人の女の子のはき捨てるような一言。「馬鹿じゃないの?追い出されていい気味。」死んでしまいたかった。

 アムステルダムの日本人学校に転校してから数ヶ月が経ったころ、その年の文集が送られてきた。案の定、僕の写真などひとつもなかった。冷笑を浮かべつつページを手繰っていると、突然ある見開きに僕の詩が掲載されていた。Mrs P.の授業で提出した、雪原で獲物を狩る、狼の群れを表現した詩だった。しかも、挿絵つきだった。僕は激しく泣いた。

 あれから13年、あの人はどこで何をしているのだろうか。会いたい。会って、素直な気持ちで話がしたい。"I'm sorry Mrs P."って伝えたい。嫌いだったわけじゃなかったってことを伝えたい。…そう、許してほしい。11歳の昔のようにあの人にむしゃぶりついて、泣きじゃくりたい。そんなことを、よく思う。そして、自分の年齢を思い出し、苦笑する。

 少なくとも、あの人に関する限り、僕は永遠に11歳のままなのかもしれない。
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コメント

寝太郎さん、勇気を出して書いてくださってありがとうございました。
いつかMrs.Pに再会できますように。

>敦子さん

 実は、最近そのインターナショナルスクールのHPを見つけまして、同窓会のメンバーにもなったんですよ。

 でも、やっぱり僕の知ってる人はほとんどといっていいほど加入していなくて、Mrs Pの連絡先も検索できませんでした。

 もしかしら、しゃかりきになったら探し出せるのかもしれないけれど、なんだか怖いんです。

 矛盾してますよね。

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