スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ある対話 

内なる賢者よ、問いを許せ

愚かな問いには愚かなる答えを
賢き問いには賢き答えを

私の心は何を問うているのか
何を求めているのか
私は答えをどこに求めればよいのか

欲するのは汝の意志。意志は自由。自由は恩寵。汝が問うべきなのは、なぜ自由が汝に許されたか。

では、なぜ、自由が私に許されたのか?

絆、それは絆。生成との絆、そのつながり、日々生まれ行く無限の宇宙、日々新たな完全な宇宙…その存在の証だから。絶えず新しく、絶えず古い。古きものは絶えず新しく、水面を広がる波紋のように、記憶は絶えずより美しく、すべての思念に反復され、讃えられる。

あなたは答えていない。それと私が自由であるということは、どういう関わりにあるのか?

愚かなる問いには愚かなる答えを。答えの与えられた後に発せられる問いは、すべて愚かなもの。

答えは与えられたという事か?

すべての答えは目の前に。問いを立てるという行為が、そもそも盲人のなすことよ。

生成との絆…私が自由であるから、宇宙の命、その脈動と展開があるということか?

心の織り成さぬもの、心の関わらぬものは存在できない。そして心は一つしか存在しない。すべては天と地の戯れ。生まれ行くものも、去り行くものも、すべては心のままに。されど、すべては決して変わらぬ。生成、流転、消滅…それらは踊りのようなもの…永遠の命が踊りを踊る。すべては静止している…それが真実、そしてそれこそが美。美とは真実、それは静止、それは命による永劫の舞、それは生成、流転、そして消滅。

変わらぬもの…私はこれを知っているのか?

汝の知らぬものは何一つない。

ならば、なぜ私は愚行を繰り返すのか?なぜ困惑のうちに日々を過ごすのか?なぜ導きを求めさすらい、そしてこれほどまでに乾いているのか?なぜこれほどまでに苦しんでいるのか?

切実なる問いには、切実なる答えを。真実の叫びのみが、存在を揺るがす。真実の叫びのみが、永遠に記憶され、舞い続ける。汝の真実が叫ばねば、宇宙の真実もお前に気づかない。汝の真実が舞い狂わねば、命は応じてはくれない。永遠の命と共に踊るには、真実の呼びかけをしなければならない。真実の呼びかけは宇宙を震わせ、すべての命が汝と踊る。真実の歌を汝が歌えば、すべての魂が唱和する。真実の声を挙げよ。求めよ、さすれば与えられん…これは神の言葉ではなかったか?

真実…?私は結局、まだ求めていないということなのか?声すらも挙げていないということなのか?

答えられない問いというものが、時にはある。それは汝のみが知ることのゆるされた問いに関して…汝の意志に関わることは誰も知ることはできない…それが自由というものだから。

ならば問いを変えよう。私の真実が…いや、私が真実において生きるためにはどうしたらいいのだろうか?

真実は目の前に。時間に織り成される命の移り変わりに、その生成に。生成の根源に触れよ…絶えず力の中に留まること、それは祈りの中に生きること。

祈りとは?

汝の真実が宇宙に働きかけること。宇宙の真実を、永遠の命の呼びかけに耳を澄ませること。そして、再びそれに応じて声をあげること。命は執り成す。命は分け与える。命は参与する。命は笑う。命は踊る。命は美しさの中に。暖かな想いの留まるところ、そこに汝の命があり、命のなすことが汝の真実。命に触れよ。

命に触れる?

暖かな気持ちを辿り行け…暖かな気持ちこそが扉を開く。心を照らし、済んだ目で眺めよ。諸々の群像、声、地に這う者ども、怒れる神々、翼ある者たち、諸々の声の合間、微かな木漏れ日を捜すがいい。そこに扉がある。そこに鍵がある。そこに泉があり、力がある。そこに汝の真実がある。永遠の踊りがそこにある。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://slumber365.blog2.fc2.com/tb.php/405-f5be1667

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。