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難しい人間関係 

 いろいろな人間関係がある。そんななかで、適度な距離をつけ損なった人間関係ほど処置に困るものはないかもしれない。下手にお互いを深く知り合ってしまった後に、どうやら肌合いが究極的なところで合わないようだと感じてしまったら、それはなんと滑稽な状態だろう。ある日、突然、嫌いではないが、どうやら本質的なところで絶対好きにはなれないらしい、そんなことに突然気づいたとする。そして、どうやらお互い腹の底ではそう感じつつあるということは漠然とわかってる。

 相性というものはやはりある。厄介なのは、それが良かろうが悪かろうが人間関係は成立するということだ。下手をすると、お互いがお互いにとって極めて近い親密な存在にすらなってしまう。ただ、ある時、お互いがお互いにとって不愉快…とはいかないまでも、なんら本質的なところで喜びをもたらさない存在であること…少なくともどうあってもうまくいかないような相性であることに気づいてしまう。かと言って、もはや社交辞令ですべて処理してしまうほど他人ではなく、そして不幸なことに相手に対する深い愛情を抱いていたりするのだ。

 近づくべきでないところを近づきすぎた故の困難というものは確かにあると思う。と言って離れるわけにもいかず、憎むわけにもいかず…ただお互いの徒労感とげんなり具合が触れ合う度に増していく、この難しさ。嫌いにはならないのだろう…ただ、そこで生じるのはある種の諦め。「あぁ、こういう人なんだなぁ」という現実認識。それ以上でもそれ以下でもなく。ただ、お互いがお互いにうんざりしてくる。人間としての愛情とうんざり感というのは、おそらく両立可能なのだろう。そこでは、人間関係が切れるのではなく、単に淀み、腐っていく。

 最初から相手を軽蔑していたり、気に食わなかったりした場合は話は簡単。ゴミ箱に突っ込んでせいせいした気分になればいい。そうでないから始末が悪い。人間性を尊敬し、なおかつ深い愛情を抱きつつ…ただ、一緒にいてもどうしようもない、お互い単に不愉快になるだけだなと腹の底から思ってしまう。だから困る。棄てたくもないし切りたくもないけれど、ただ、どうにもなりようのない関係なんじゃないかと心のどこかで諦めが芽生えつつある。

 もう少し踏ん張ってみるか…それとも、もう手放して成り行きに委ねてしまうか、悩みどころ。僕が天寿を全うしたとして、いったいどれだけの人と最終的に友でいられるだろうか。意外に少ないのかもしれない。そんなことを考えてしまう。
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