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祖父の思い出 

 就職活動で会社回りをして、初めて祖父は偉い人だったのだなぁと実感した。(父に関しても同じ事を思うのだけど、それはまたの機会に)
 祖父は90年代に破綻した、ある証券会社の社長だった。(破綻したときには引退していた)

 しかし、よくわからないのだ。

 と言うよりも、ギャップが大きすぎる。自分の知っている祖父と、企業のトップとしての祖父との。

 戸惑うのは、祖父が必ずしも何かひとつずば抜けた能力だとか、英雄的気概だとか、そういうものを感じさせる人ではなかたっということ。

 自分の知ってる祖父は、ただの人間としての祖父。あまり特別な才能や能力に恵まれた人であるという印象は、正直言ってない。いうなれば円熟した平凡人と言った感じの人だった。

 頭が切れたり、いわゆる金儲けの才能があるという感じではなかった。デイトレでがんがん稼げるタイプの人じゃなかった気がする。引退してからは、あまり金融のことは興味がなさそうだったので、そういう事情もあるのかもしれない。

 だから、就職活動をしつつ、よく考えたもの。

 祖父のどういった部分が、彼をそこまでの地位に押し上げたのかと。

 ある種の威厳を常に漂わせた人であったことは確か。荒波にそびえる、巌のような人だった。実際、祖父は晩年、体調の悪化から弱ってはいたものの、どんなに具合が悪くとも、決して弱々しくはなかった。

 「弱っていても、弱々しく見えない」

 そういう印象を与える何かを祖父は持っていた気がする。

 また、人間に対する確かな美意識を持っていた。

 それはなんだったんだろうと考えたのだけど、たぶんその人が他人との絆、信頼関係を大切にできるかどうかで人をはかっていた気がする。

 誰が相手でも、約束の30分前には必ず待ち合わせ場所に居るような人だった。マメと言うよりも、相手の時間や、約束そのものを大切にする人なんだったのだと思う。

 だから、逆に言えば、そういうことができない人間、だらしなかったり不誠実な人間に対しては容赦がなかった。N村證券の立川支店の営業マンが来たときにいわく、

「3ヶ月間も挨拶もなにも音沙汰なしで、買ってくださいだとかそういう都合のいいときだけぺこぺこ。信用できないんだよ、あんたみたいな人。営業失格だよ。」

 そんな風なことを、祖父が30分近くネチネチと説教をしていたのをよく覚えている。たまたま傍でテレビを見ていた自分は、出るに出れなくなり、結局「こっわー」と首をすくめながらそれを一部始終聞いていた。

 ほうほうの態でその営業マンは逃げ帰った。言いすぎだろうと感じたので

 「あんな下っ端の人、そんな風に叱っちゃかわいそうじゃない。だいたい、お祖父ちゃんが説教するせいで、俺出るに出れなくて、困ったんだからね!もう、大迷惑。」

 とか生意気なことを言った。

 祖父はいたずらを見つけられたような悪ガキの様な苦笑いをして、首をすくめた。

 しかし、今思うと、その営業マンの行為、その不誠実さこそ、彼の根本的な美意識、更には証券マンとしての職業倫理に反するものだったのだと思う。だからあんなに怒ったのだなぁと、今にして感じる。

 几帳面と言うよりも、誠実な人だったのだろう。

 自分はそうとうずぼらでだらしない方なのだが、祖父はいつも嫌な顔をしていたのを覚えている。おそらく、それを黙認してもらえたのは、自分が彼に溺愛されていたからで、もし彼の部下だったとしたら弘前か沖永良部か、どこか最果ての支店に左遷されていたかもしれない。

 それくらい、いい加減なことが嫌いな人だった。

 案外、人間にとって一番大切なのは、そういった資質なのかもしれない。

追記:

 いま話題の村上さんが記者会見で、何度も「自分は証券のプロ中のプロ」って連呼してたのをがちょっと気になった。祖母も同じような感想を抱いたようで、テレビを見つつ誰に言うともなしに「プロ中のプロね…」とつぶやいてたのが印象に残った。

 祖父はああいうタイプの才子系の人とは、よくも悪くも全然方向性の異なる人だった。

related?

僕の祖父(父方)


今日のヒット

武州無宿・健次郎はなぜブログを書くのか?(続)

 ホームレスのブロガーの方が、なぜ書くか、なぜホームレスなのかを綴ったもの。

ぼくはまるきり不器用な人間で、自分でできそうなことを探したとき、文章のほか、もはやまったくなにも残ってはいなかった。ぼくはその唯一、自分ができそうなことをやっているに過ぎないのだ。


 この文章が胸に残った。

弁償するとき目が光る : ネバーエンディング・ブログ論争の果て、または「で、どうするの?」という素朴な問い、あるいは危機的状況

 かなり以前の記事なのだけど、たまたま読み返してみたら、やはり痛快。ちなみに、例の不備日報: ネバー・エンディング・ブログ・ストーリーの発想の大元となった記事だとか。

 前にどこかで書いた気がするけど、たぶんブログ論に特化して書いてる人って、作家や音楽家ではなく、文学者や音楽学者のようなものなのだと思う。

 そういった文章は、それはどれで存在意義はあるんだろうな。
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コメント

かっこいいですね

鈴木その子さんが亡くなった時、ビートたけしさんが
「まっとうなやり方で成功した人の品を感じる人だった」
みたくおっしゃってたけど
おじいちゃんもそういった品のある方だったのではないかと
勝手に思ってしまいましたよ。

口下手でも構いません。
人に対してとことん誠実な人にぼくはとても魅力を感じるんですよね。
そのあたりに人間としての力を感じます。
いいおじいちゃんを持ってて、羨ましいですよ(^^)

>とよさん

 祖父に魅力を感じてくれて、本当にありがとうございます。

 確かに、自分の祖父ながら

「まっとうなやり方で成功した人の品を感じる人」

 だったと思います。

 不肖の孫ですが…。

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