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イエス 「ことばと心」 

「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである」

ルカによる福音書 6章 43~45節


 心を静めて、指のおもむくままにキーボードを叩く。そうすると、自分でも驚くようなことを書くことがある。

 ことばは心の鏡。

 心が怒りと憎しみで煮えたぎっているときに、何かいいことを書こうとしてもうさんくさいきれいごとにしかならない。一方、なんとも大きな力がキーボードを叩く自分の指を通じてあふれ出ているような気分のときに綴った文章は、みずみずしい活力にあふれている。
 ところで、自分は、照れくささから、つい乱暴な言葉遣いをしてしまったり、嫌味や悪口を言ってしまうことがある。

 しかし、そういう「甘え」を対人関係に持ち込んでしまうのも、つまりは自分の「ことば」の力を自覚できていないからだろう。それは、受け取った相手の気持ちを想像することができないということだ。

 だから、そういう悪口や嫌味は、まさしくそういう自分の弱さや自己中心性を映し出すという意味で、まさしく自分の鏡なのだと思う。

 まさしく、

悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す


 のである。

 ずっと、卑屈な生き方をしてきた気がする。誰かが自分ごときの言うことで傷ついたり、揺るがされるなんてことはあり得ないと思っていた。

 小さいころ、人に突っかかったり、罵ることで構ってもらおうとする癖があった。他人の気持ちを考えるゆとりがなかった。ただ、自分を見てもらえればいい、そういうことを思っていた気がする。

 そして、今でも、どこかそういうところがあるのかもしれない。

 ことばは心の鏡。

 寄り添い暖めるような、そして、受け取った人の最も美しい部分を引きずり出すような、そんなことばを紡げるようになりたい。

 そして、そのために越えなければいけない壁というのも、漠然と分かり始めてきた。





今日のヒット

問答]想いの背丈

いわゆる、激痛系エントリー。なかなか本質を突いているようで、思わずクスッ。

ヒーローはここに

いつもあなたの傍にいて、誰よりもあなたの為に頑張ってくれる人。誰にでもいる、その人だけのヒーロー。

 なんか、いいな。

君にしかできないこと

 こういう姿勢から紡がれたことばが、世界をより豊かで色彩あふれるものにしていくんだろうなぁ。

 書けなくなってしまった人、必読かも。
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