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別れることと委ねること 

 仏教的な発想をすると、たぶんこういうことになる。

 しかるべき理由があったから、出会うべくして出会った。

 そして、しかるべき理由があったから別れるべくして別れた。

 更に、しかるべき理由があれば、きっと再び出会うべくして出会う。

 すべては絡まりあう因果の糸にしたがって起こる。

 そして、その中心に居るのは自分。

 自分に原因のないことは起こらない。だから、自分にふさわしくない幸運とは訪れないし、自分にふさわしくない苦難も訪れない。

 結局のところ、仏法とは自己を習うことなりという道元のことばがすべてを説明してあますところがない。

 だから、最終的に、他人のことはすべて手を離して委ねてしまうしかない。

 そして委ねるということが、もっとも大きな愛の形であり、信頼の証なのだと思う。
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コメント

悲観的

どうなんでしょう。偶然ということもありうるはずです。それに奇跡という、因果関係では説明できない現象もあるはずです。

こじつけちゃうと

>ヘルメスさん

 偶然なんてのは、どんなに偶然に見えても偶然ではないって考えちゃう人たちもいるってことです。(うわ~、悪文!)

 え、ぼく自身の考えですか?

 態度を決めかねているってのが、本音ですね。ただ、因果応報ということばにもある種の真実があるのかもしれないって、時々思うんですよ。これを書いてたときとか。(笑)

 ただ、自分にとって大切な人を、自分より大きなものの手の中に委ねること、それ自体は、ぼくは悲観的だとは思わないんですよ。

 むしろ、相手を、そして生の根源にある大きな力を信じているからそういう気持ちになれるのかなって、ぼくはそう思ってます。

 ちゃんとお返事できてるか、ちょっと心配です。

 コメントありがとうございました。

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