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怯える人たち 

 この記事なんですけどね、皆さんどう思います?妊婦に席を譲らないのもそうだけど、そもそも日本に来て驚いたことの一つは、大の男が平気で女性や年寄りを目の前に立たせたまま電車で少年ジャンプを読んでいる風景。あれには唖然。

 この前、パスポートを更新するために、祖母と立川に出かけたんです。

 で、年寄りと歩いていると、いかに人が怯えて生活しているかがよくわかるんですよ。

 79歳の年寄りにチリンチリン鳴らすチャリンコだとか、電車で祖母が座ろうとしている席に、先回りして走りこんで、座っちゃうサラリーマン(たぶん20代)だとか。

 我が家の婆さんだとか妊婦の方にシルバーシートを譲らないことが悪いことだとか、そういうくだらない話をしたいわけじゃないんです。

 ただ、 理由はわからないけれど、誰もが心を閉ざしている。そして、何かに怯えている。だから、みんな自分の殻にこもって、外の世界の人びとを「モノ化」してしまっている。

 自分よりも弱い人間を慈しむことの喜びを知らない、あるいは忘れている人が多いんだと思う。そういう人は、自分を弱い人間だと無意識のうちに思い込んで、周りが見えなくなってしまうほど必死になってしまうのかもしれない。

 つまり、心の深いところで何かに怯えている。何かに常に追い立てられている。自分が弱者だと思っているから、いつも必死。

 79歳の年寄りを押しのけて平然としていられるって、とても不幸なことだと思うんですよね、精神的に。そういう人が、じゃあいざ自分の身近な大切な人たちを喜ばせてあげることができると思いますか?

 …難しいんじゃないかと、ぼくは思います。

 そして、「愛さぬものは愛されること少なく、愛されること少なきものは愛されること少なし」って感じの悪循環にどっぷりのめりこむことになって、しまいには、そこらへんのガキを金属バットでぶっ叩きたくなるんじゃないかな。

 「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」(Train-Train)

 本当に不幸なのは、そういう人たちなんだと思う。
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コメント

自分を弱者と規定しているから他者を慈しめない、というのは一つの考え方だね。なんだかはっとする指摘です。閉塞感、心の闇といったものはそういった悪循環を生み出しているわけだが、どうやったらそれを断ち切れるのだろうか。

恥ずかしいが、それは自分でなんとか立てる人たちが波状的に慈しみ、というか明るいものを投げかけていくことなのか、と今は考えてます。

>番長さん

 いいですね、立てる人たちが明るいものを投げかけていくって。

 自分もね、こうやってウェブで書くことを通じてそういうことができたらなって思うんですよね。

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