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は?思想史?何が面白いの? 

 思想史―厳密に言うと政治思想史―を勉強している。

 地味。ひたすら思想家の書いたものを読みまくるだけの作業。

 実用性も皆無。カントがどんな寝言をほざこうが、現実の政治はおろか株価の予測にすら役に立たない。

 「じゃあ、何が面白いの?」と聞かれると、正直困る。

 ただ、どういうときに嬉しいかは伝えることが出来るかもしれない。例えばそれは、思想家の文章を読んでいて「あ、この人好きかも」と思えたとき(その人の結論に同意するということではないこと注意!)。その人の「問題意識」や、もっと深くてどろどろした探求の動機―壮絶にイタイ失恋経験だとか、師匠を殺された恨みだとか、極度の貧困だとかetc―に共感してしまった時。その人の晩年の著作と、その半世紀前に書かれたラブレターに共通する問題意識や思想のかけらを発見したとき。一言で言うと、「魅力を感じる一人の個性としての思想家を少し理解できたと実感できたとき」、思想史を勉強していてよかったと心から感じる。

 基本的に、「人間が好き」じゃない人はやっちゃいけない学問だと思う。なぜなら、その本質は「人を理解しようとする試み」だから。
 よく、「ソ連も北朝鮮も失敗した。だからマルクスはクソ」という人がいる。実は、思想史を学ぶ人間にとっては、そんなことはぶっちゃけどうでもよかったりする。

 なぜならば、思想史を学ぶ人間が興味を持つのは、第一に「人」だから。この場合、マルクスという抜群の思考能力と個性を持った一個人が興味の対象。つまり、知りたいのはマルクスが到達した結論―共産主義―ではなく、それに至るまでの「プロセス」と「問題意識」。したがって、仮に彼の思想に過ちがあったとすると、むしろその「過ち」自体が最高のネタとなる。その人の過ちにこそ個性は滲み出るもの。

 あたかもマルクス本人が目の前に居るように、こう問いを投げかけてみる。

「うん、共産主義が大事なのはわかった。でも、何でそう思ったの?あなたが気になっていたのはどんなこと?どういう不条理に対してあなたは怒ってたの?あなたは何をしたかったの?そもそも、あなたの考える動機は何?それを聞かせてよ。」
 
 相手がカントならば『永遠平和の為に』彼が現在の国連の原型に近いものを提案したこと自体は、正直どうでもよかったりする。問題は、彼は何故そうした結論に至ったか。或いは、そうしたある種の夢物語が、何故「彼にとってリアリティがあったのか」。その問いを、彼の生きた時代状況や社会風潮、さらには彼の探求の足跡などと照らし合わせながら探るのが思想史という学問であると言ってよい。

 言ってみれば、思想家の「結論」は思想史的探求にとっては出発点に過ぎない。すべてはそこから始まるのである。人間を理解するには結果よりプロセスと動機が大事。思想史という学問は、こうした人間観を前提にしているのではないかと思う。

 逆に言うと、思想の背後にいる「血肉の通った一人の人間としての思想家」―プラトンなり、アウグスティヌスなり、マルクスなり―を愛せない者が思想史を学ぶと、必ず何か合理的な「答え」や現実世界の不条理を救済する「正解」を期待する。結果、思想史は「教典」に関する原理主義者同士の神学論争となり、人間としての思想家は殺され大理石の彫像に置き換えられる。

 だから、本当に「人間が好きな人」、―人間というチンケな生物の喜怒哀楽、歴史を通じた試行錯誤、滑稽な過ちと崇高な理想、そうした諸々の悲喜劇とその根本的な非合理性を心の底から愛おしく、また微笑ましく思える人―でなきゃ絶対にやっちゃいけない学問なのだと思う。世界を黒と白で色分けしたり、自分と価値観の異なる人にレッテルを貼って決め付けるのが好きな人は、思想史には向いていない。

 って、ここまで書いて、ブログもそうだよなぁと思った。…あぁ、すべてがブログにつながっていく。おいらびょーきかも。

 ちなみに、ここで書いたことはあくまで個人的見解で、決してアカデミックな裏づけのとれるものではないのでご注意を。業界の方、マジレス勘弁。


Weg, nicht mein Werke.

M.Heidegger
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コメント

怖い

いつもながら大変興味深く読ませていただきました。つまるところ、「幽霊とすらお話をしたがること」が思想史向きであるかどうかの条件である、とも言えるような?

僕も多分にそうですが、寝太郎さんも危ないですね。果てしなきコミュニケーション欲というか、他者と対話して止まない性向は、それがエンドレスであるという点でやはりやばいかもしれません。幸か不幸か、カントの時代はブログがなかったために、著作という形にしてアイデアを残すしかなかった。紙上でアイデアをまとめる「生産的な」スタイルによって表現せざるを得なかった。けれども、現代ではそれ以外のさまざまな表現媒体が存在してしまっているがゆえに、表現中毒者である貴方やわたくしは、それらから抜け出せなくなってしまう可能性があるのではないかと思われます。

こらこら

>かおーる

 
>表現中毒者である貴方やわたくしは、それらから抜け出せなくなってしまう可能性があるのではないかと思われます。

 こらこら、お前と一緒にするな。

 まぁ、でも「幽霊とすら対話したがる」ってのはある意味比喩としては正解。

 ただ、あいにく俺は割合大雑把でアバウトなんで、てきと~なところで切り上げる適当さも持ち合わせてるの。

 へへ♪

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