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イスカリオテのユダ 

 最近、『ユダの福音書』なるものが解読されて、大きな反響を呼んでいる。

 内容は、「ユダはイエスを裏切ったのではなく、その指示に従って彼を官警に売り渡した」というもの。当然、かつては異端の禁書扱い。
 
 イエスを売り渡したにも関わらず、彼は代償の銀貨を神殿に投げ込み、首を吊った。

 聖書に描かれたユダの肖像には、裏切り者の狡猾さよりも、何か重くて赤黒い哀しみを感じてしまう。

 マタイ受難曲では、「私のイエスを返してください!」というアリアが、彼が神殿に銀貨を投げ込んだシーンの直後に挿入されている。バッハもユダという人物に対して複雑な想いがあったのではないだろうか。

 イエスの死。

 おそらく、その史実は永遠に闇の中にとどまることだろう。

 だからこそ、なおさら「真実」が問題にされなくてはならない。イエスは、十字架の上でもユダを愛し続けたのか。ユダは赦されたのか。それはキリスト教の根幹に関わる重要なテーマではないだろうか。
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コメント

イエスの死

なぜイエスの死(史実?)が闇の中にとどまるのですか?

あぁ

>はんなさん
 
 語弊がありましたね。

 受難までの本当に詳細な歴史的経緯というのはわからないということを言いたかったんです。

 例えば、ユダの裏切りやペテロの否認といったエピソードのin detailな史実性を確認することは不可能ですよね。

 ただ、唯一史学的観点から確認可能な事実は、ナザレのイエスが刑死したということだけ。

 ユダという男の謎がまた増えたということです。

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