スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

隆慶一郎 『捨て童子 松平忠輝』 

…人々は極めて粗末で手軽な小屋に住み、井戸も掘れないのだから堀の水を飲み、同じ堀の水で洗い物もするということになる。まさに最低の生活だが、これを全く気にもしないところに、彼等の逞しさがあった。陽気でどこまでも明るく、お喋りがとまることがない。

 早朝のこの時間は、ほとんどよそ者の訪れはなく、彼らだけの暮らしが展開されるのだが、それが喧騒を極めるのは、そうした事情による。

 これはさすがの忠輝にとっても、全く目新しい状況だった。昼間とはまた違った活気に溢れていて、物珍しさばかりでなく、なんともいい気分でもある。いわば忠輝の気質にぴったり合った場所だったといえる。

 不意に袖をつかまれ引っぱられた。見るといつかの傀儡(くぐつ)の女の子だった。ひどくこわい顔をしていた。

 「だめだろ、こんな時刻に来ちゃ」

 囁くように、だが強い調子でいう。

 「今はまだよそ者を入れちゃくれない刻限なんだよ」

 そういえば何人かの男に嶮しい顔で睨まれたのを忠輝は思い出した。忠輝はおよそ場違いな服装をしている。選択はしてあっても襤褸に近い市場の者たちの着衣と、忠輝のいかにも若殿風ないでたちは、きわだった対照を示していた。

 「そうか」

 忠輝は一言いうと、着ているものをくるくると脱ぎ捨て、下帯一本の裸になった。

 「これでいいかい」

 さすがの傀儡の娘が目を瞠った。次いでどっと笑い出した。

 嶮しい眼で見ていた周囲の男たちも、全く同じ反応を示した。笑い転げたのである。この行為ひとつで忠輝はよそものではなくなったといっていい。この場所にいることを暗黙裡に認められたわけである。

(中略)

 娘の名は雪といった。忠輝に負けないくらいまっ黒に陽焼けした娘の名が雪とはなんともおかしく、今度は忠輝の方が笑った。

 忠輝は例の鉄扇だけを褌に差し、ほかのものはすべて雪に渡した。雪はうけとると小屋の中へ放りこんで、

 「着たらいいわ」

 鹿皮らしい胴着をかわりに渡してくれた。外側に毛がついてて温かく、この季節にはこれ一枚で沢山だった。

 「おなかすいてるんだろ」

 そういわれれば確かにすいている。江戸城内での朝食はほとんど昼に近い。勿論この頃は日に二食である。

 「おいで。一緒に食べよう」

 小屋の裏につれてゆかれた。

 十五、六人の老若男女が車座になった食事をしている。服装はまちまちだが、広場の他の連中に較べてどこか小ざっぱりしている。年頃の女たちの中には、はっとするほど美しい者が何人もいた。

 食いものは大鍋の中でぐつぐつ煮立っているのを、てんでに椀にとって食うのである。中身はよく分からない。肉もあれば野菜もあり魚もあるようだった。味つけには味噌が使われている。雪が椀に大盛りにとって長い箸と共に渡してくれた。

 一同がそれとなく注目している。

 一口食った。熱く、濃厚な味で、しかも辛かった。

 「うまいや」

 いうなりもう夢中になって食い続ける。

 一同がにこっと笑った。食卓でも忠輝は認められたのである。もっとも忠輝自身はそんなことは知らない。

『捨て童子 松平忠輝』上巻 p179~181

 スリリングにして、切ない、読んでいて胸が熱くなる歴史ファンタジーの名作。

 その人間離れした力により差別され、迫害され、しかし同時に多くの人間を魅了してやまない、そんな異形の者の哀しみと戦いを隆慶一郎は鮮やかに描いている。

 松平忠輝は徳川家康の第六子。

 天性の優しさと、武将としての素質を持ちながら、生まれたとき、そのあまりにもの醜さに、

 「捨てよ」

 との家康の一声によって、野生児として野山を駆け巡って育つ。

 そして、畏れをこめて、彼はこう呼び習わされるようになる。

 「鬼っ子」と。

 しかし、忠輝は武芸に優れ、南蛮のことばと医術を自由に操る貴公子へと成長する。一方、戦国乱世は終わり、彼のような英雄型の人間の居場所はどこにもなかった。そんな中、忠輝は伊達政宗や豊臣秀頼らを魅了し、全国の切支丹や傀儡(被差別民)らに信望され、本人の意思とは関係なく大きな力を得ることになる。

 結果、父、家康には評価されるものの、兄にして二代将軍、秀忠にはその力を恐れられ、また嫉妬され、執拗に命を狙われることとなる。それに加えて、彼を守ろうとするもの、利用しようとするものの思惑が、慶長遣欧使節団の派遣や大坂の陣といった歴史的事件を軸に入り乱れ、柳生一門との死闘などをからめながらのスリリングな活劇が展開される。

 忠輝は実に1683年、5代綱吉の時代まで生きるわけだが、その大半は流刑者として。本書で描かれているのは、その誕生から家康の死後流刑にされるまでの年月。

 高貴な身分に生まれ、ずば抜けた才能に恵まれながらも、異形の者として恐れられ、そして憎まれ、排斥された悲劇の貴公子を、隆慶一郎は活き活きと、そして共感を込めて描写している。

 夢中になること請け合いの、オススメの一冊。

捨て童子・松平忠輝〈上〉
隆 慶一郎
406185285X

捨て童子・松平忠輝〈中〉
4061852868
捨て童子・松平忠輝〈下〉
隆 慶一郎
406185321X

スポンサーサイト

コメント

こういう描写はそっくりそのまま一夢庵風流記にもあるよね。濃厚な肉料理を前田慶次郎がうまそうにほおばるところも全く同じ。作者がこういうシーンを繰り返し描くことに意味があると思った。

>番長さん

 おー、もしかして番長さんも隆慶一郎ファン?

 身近なところに同志がいて、嬉しいです。

 確かに、この「傀儡鍋」のシーンって、いろんな作品で描かれてますよね。とりあえず、おいしそうで好きなんです。(笑)

 食べ方って、人のいろんな面をかもし出す気がするんですよ。だから、隆慶一郎が描きたいような男の類型の食事ってのも、やっぱ相通ずる描写になっちゃうのかなぁということを、番長さんの指摘を読んで考えました。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://slumber365.blog2.fc2.com/tb.php/319-9402c629

-

管理人の承認後に表示されます
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。