ことのは騒動とネット蝿に関する雑感 

 あまりにもばかばかしくて、完全にスルーするつもりだったんだけど、やはり一言。

 ご存知の方も多いと思うけれど、某アルファ・ブロガーの方が元オウム信者だったということがなんとかっていう猥褻週刊誌にすっぱぬかれて、蝿みたいなのがネット上に大量発生。

 けしからんだなんだと、ぶんぶん大合唱。

 ぶんぶんぶん
 蝿が飛ぶ
 弱い者いじめの
 口実できたよ
 ぶんぶんぶん
 蝿が飛ぶ

 とまぁ、くだらない替え歌はともかく、蝿どもが騒いでてうざったいわけです。

 OK。

 彼は元オウムだった。

 だからなんだってんだ?

 元オウムだから彼の書いた記事は評価に値しないと言いたいのであれば、それは論理的に破綻している。

 あえて元オウムであることを公開していなかったことが問題だというのならば、大きなお世話もいいところ。だったらまずてめえの過去の恥部をネットで公開しろといいたい。

 素性を隠して自民党および民主党主催のブロガー懇談会に出ていたのが問題という輩も多いが、むしろこっちが聞きたい。
いつからこの国は思想・信条に応じて公民権に制限を加えるようになったのか。

 だいたい、仮に彼が現役のオウム信者だったとしても、彼の一連の記事やブログ論には見るべきものがあると思うし、ゆえに自分は彼のブログを読み続けると思う。

 一方で宗教観や人生観には、自分と彼では或いは隔たりが大きいのかもしれない。だが、それも単に違和感を感じ、自分を省みるだけであって、それでも彼の書いたものを読むであろう。もし、彼がいまだにオウム的価値観の持ち主で、そういった内容のエントリーを書いたとして、もし自分がそれに深く共感すれば自分はオウムに入信するだろう…そういうことはないと思うが。

 何が言いたいのかと言うと、自分は他人に宗教としてのオウムの是非や善悪についてのものさしを強制される義理もなければ、そういうものを受けいれるつもりもないということ。自分の物差しは自分。マインド・コントロールされる程度のものさしだったら、大いに結構。外野は放っておいてくれと思うわけだ。

 「正しい」認識や宗教観よりも、自分の眼と理性と感性とで判断する自由を自分は大切にしたい。

 ってか、いったいみんな何をそんなに恐れているんだ?

 ブロガーとして書くということは、純粋に文章表現で自分を世界に刻み込む行為。だからこそ、自分はただ、書かれたものを読み、自分の眼と感性で判断する。ブロガーにとって、書かれたものがすべて。そして、それこそがブロガーとしての矜持だと自分は思う。

 それだけであり、おそらく蝿と自分とは、そこらへんの感じ方が共有できないのかなぁと思ったりもするわけなんだけど、どうだろうね。

 ま、ようするに蝿のルサンチマンなんだろうけどさ。

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