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室町雑考 

 室町という時代は何だったのかということを時々思う。

 
 諸説あるものの、一般的に、戦国時代の始まりとされているのは1467年の応仁の乱であろう。

 しかし、一方で1333年の鎌倉幕府の滅亡から、1615年の豊臣氏滅亡に続く元和偃武に至るまでの250年強の間に、全国的に平和的な秩序が保たれていた期間がどれだけあったのかというと、幾つかの断片的な小康期を除き、ほとんど皆無であったと言わざるを得ない。つまり、室町時代は乱世であり、そういう意味では前・戦国時代といえるような時代であったといえるのである。

 そもそも、室町幕府は、その滑り出しからして不幸な生い立ちであった。絶えず南朝との戦いを強いられていたばかりではなく、観応の擾乱と呼ばれる、足利氏の内輪もめがその屋台骨を揺るがし続けた。

 さらに、戦略的必要性もあったのだろうが、初代尊氏が人身掌握のためにやたらと領地を有力大名たちに与えたために、幕府本体はきわめて脆弱な財政・軍事基盤を有するに過ぎなかった。そして、しっかりとした土台固めができないまま初代尊氏は死に、幕府は嵐の中で舵の壊れた船のように先の見えない航海に突き進む。

 かろうじて小康状態にまで持ち込んだのは、三代義満の治世。室町幕府の全盛期といわれる時代だが、しかし、ここにおいてですら、慢性的な内乱に悩まされていたことは銘記すべきであろう。

 つまり、室町という時代は延々と続く果てしない戦乱の世だったということがいえるのではないだろうか。しかも、この時代の救い難さは、それらの戦乱の多くがたいした必然性もない、将軍家や有力大名のお家騒動だったということ。これほど、リーダーたちに政治的主体性やヴィジョンの欠落した戦乱が長期間続いた時代は、世界史的に見ても珍しいのではないだろうか。

 事実、室町と言う時代はただ一人の藤原不比等も頼朝も生み出すことはなかった。だから、室町と言う時代は顔が見えないということは、決して誇張ではないのである。何のために戦いが行われているのが、さっぱりわからない。おそらく、当時の人間もよくわかっていなかったのではないだろうか。

 ゆえに、動乱の時代でありつつも、極端に小説やドラマの題材になりにくい。事実、かの吉川栄治も、『私本太平記』という形でこの時代に取り組んだものの、そのあまりにもの混沌ぶりに悩まされたのか、中途半端な佳作に終わっている。

 ただ、政治がどうしようもない分、確実に民衆はたくましくなっていったようだ。農業生産は向上し、商工業の隆盛には眼を見張るものがある。また、茶の湯、能楽、連歌、礼法といった後の日本文化の根幹をなすような文化もこの時代に確立されており、政治的には混迷しつつも、人びとのバイタリティとエネルギーがきわめて高い状態にあったということが考えられる。

 言ってみれば、中央の政治的求心力の低下から生じた真空状態によって、末端の民衆がかえって活気付いたという不思議な現象が観察できるのである。将軍や大名たちがお家騒動に明け暮れている間に、大地に根ざした人びとは着実に力を蓄えていった。そして、中央の政争に明け暮れる権力者たちに背を向け、自律・自治の方向性を模索し始めるのである。そういった意味で、戦国時代の到来は社会構造的に必然的なものだったといっていい。

 そうなってくると、室町と言う時代は、散漫な旧勢力と権威の解体と没落、そして底辺の民衆における生臭い生命力の育成、そうしたふたつのベクトルが並行して推進されていった時代であるということが言えそうだ。
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