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歴史群像 足利義輝 

 業火。

 焼け落ちる御所の中、彼は剣を振るい続けた。畳に突き刺さった何本もの秘蔵の名刀。迫り来る雑兵を斬り捨てては、切れ味の鈍ったものを投げ捨てる。そして、畳に突き立った無数の刀から手ごろなものを抜き取り、阿修羅のように戦い続けた。

 室町幕府、第13代将軍、足利義輝。

 はぜる火の粉の中、彼が刀を振るうたびに血塵が舞う。その度に、忌々しさと感嘆の混じったうめき声が、彼を囲む三好・松永の将兵たちの間からわき起こる。炎に照らされた、精悍な面構えに浮かんだ静かな、それでいてふてぶてしい笑みは自嘲か、それとも血の香りに酔っていたのか。いずれにせよ、その壮絶な笑みは、彼らにこの29歳の武家の棟梁に対して、鬼神に対するような畏れを抱かせるには十分だった。
 既に十人以上がこの貴人によって斬り殺されている。業を煮やした物頭の合図で、兵たちは一斉に周囲の襖や障子を取り外し、四方から彼に迫ろうとする。

 しかし、その威厳と猛気に打たれて誰も近づけない。

 斜め後ろ、襖の壁の隙間から、一本の槍が彼の足を払った。

 彼はうつ伏せに転んだ。

 呪縛が解けた。

 八方から彼らは倒れた将軍に襖を被せ、上から槍で何度も突いた。到底、生きているとは思えないくらい突いても、まだ彼らは突き続けた。何かに憑かれたように、襖を刺し続けた。

 室町幕府の滅亡が決定的になったのは、この瞬間だったかもしれない。

 歴史を彩る様々な群像を眺めていると、時として勝者よりも、どちらかというと脇役であったり、滅び去るものの側の者に人間としての興味を覚えることがある。

 この13代室町将軍、足利義輝という人物もその一人。

 歴代の征夷大将軍で、これほど壮絶な最後を遂げた者は皆無だろう。徳川家康は武芸オタクだったし、吉宗もまた猪を鉄砲で殴り倒すほどの怪力だったと伝えられているが、しかし、それでも歴代の征夷大将軍の中で、彼ほど一人の「武士」として強かった人間も、居なかっただろう。何しろ、かの剣聖塚原ト伝から直々に一の太刀の奥義を教わり、上泉信綱から新陰流の免許皆伝も得ているほどの腕前である。ただの殿様芸ではない。

 なぜ彼は、そこまでして自らを鍛え上げたのだろうか。自分が興味を惹かれるのは、まさしくそこなのである。生粋の貴族を、数十人を斬り殺すほどの剣士に育て上げたもの、そこに至るまで彼を突き動かしたものはなんだったのか。それが知りたい。

 将軍としての彼は非力だった。

 4歳のときに父と共に都を追われた。その後、彼の幼少期は、都に戻っては、また追われることの繰り返しだった。

 1546年、若干11歳で将軍となる。

 しかし、それは都ではなく、琵琶湖の西岸、坂本でのことだった。幕府は力を失い、都は畿内・四国8ヶ国に覇を唱える三好長慶の支配下にあったのだ。

 その後、近江の六角氏の援助を受けて、幕府再興の為の戦いに身を投じること約10年。畿内の反三好派を統合し、一時は優勢に立つものの1558年に大敗。屈辱的な講和を強いられる。

 幕政の実権を三好一党に握られたものの、彼は上杉輝虎(後の謙信)や武田晴信、大友義鎮や伊達晴宗、そして織田信長など各地の有力大名に対して積極的な外交を行い、また彼らの紛争を調停するなどして、将軍家の権威を一時的に向上させることに成功する。

 1564年、宿敵、長慶の死と同時に、自ら実権を掌握すべく活動を開始。しかし、梟雄、松永久秀にそそのかされた三好三人衆の軍勢に奇襲され、冒頭で描写したような壮絶な最後を迎える。

 彼にとって、剣技とはなんだったのだろう。幼いころからの流浪と屈辱の日々の中で、彼は何度も自らの非力を思い知ったのではないだろうか。また、征夷大将軍でありながら、近江の国、穴太の山奥で乞食のように死んでいった父、義晴の死に様も、もしかしたら彼に大きな影響を与えたのかもしれない。

 おそらく、彼は自らを鍛えずにはいられなかったのだ。征夷大将軍としての誇りと惨めな現実。この落差を埋めるべく、彼が生涯追求し続けたのが剣の道だったのだろう。

 その想いの強さは、彼の剣の上達ぶりを見れば一目瞭然だ。そして、まさにその彼の剣士としての完成という事実そのものに、彼が、そして室町幕府がいかに絶望的な状況に置かれていたのかが滲み出ている気がする。

 現世における力を失えば失うほど、彼は自らを武士として研ぎ澄ますことで、武家の棟梁としての高みを目指したのではなかったか。いわば、象徴としての自分を育てることで、自らの誇りを保とうとしていたのかもしれない。

 将軍として挫折する度に、剣士としての技量は深まる。

 彼の剣にはそうした無念さと絶望に裏付けられた、暗い情念を感じる。

 辞世がある。

さみだれは露か涙かほととぎす
吾が名をあげよ 雲の上まで


 限りなく犬死に近いものの、彼の壮絶な死に様にはある種の美しさがある。それは、滅び行く幕府の将軍として、最後まで屈せずに戦い続けた彼の生き様が、象徴的に現れているからかもしれない。

 彼の死から八年後。弟、足利義昭が織田信長によって都から追放され、室町幕府は滅亡する。
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