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いまウェブログを考える② ウェブログを考えていく上での筆者の視点 

 まず、あたかもウェブログというツールが、何かの革命の到来だというような大仰な考え方をしてはならないと思う。

 期待をするのは結構である。実際、ウェブログというツールには巨大な潜在的可能性があることは確かだろう。また、ウェブログの登場と普及によりある種の社会的な構造変化が暗黙のうちに進行していることも確かだと思う。特に、社会における「情報」という観点から考えたとき、ウェブログの普及が達成しうる社会的な変革の可能性は大きい。しかしながら、一部の論者のように、たとえば既存のジャーナリズム不要論などのようなブログ万能幻想に浸ってしまうことは、かえってウェブログの現在的意義(「いまウェブログの普及はどのような影響力を社会的に及ぼしているか」)、ならびにその潜在的可能性(「ウェブログにより何がなし得るか」)を見失うことにつながってしまうのではないだろうか。

 現実的な問題として、ウェブログというツールの登場および普及の技術的意義は、一般の人間がインターネットの世界に参加する敷居を下げたことに尽きるのではないだろうか。一般的な理解として、ブログとは「簡単につくれるホームページ」であるというものがあるが(,, )、これはあながち的外れではない。ウェブログを作成するにあたってHTMLの知識が原則として必要でないことは、個人がインターネットの世界に参加するための敷居を著しく下げたと言っていい。また、更新の容易さは情報発信にかかる手間を大きく軽減し、結果として頻繁な情報発信の促進へとつながった。つまり、ウェブログというツールの登場と普及は、別段既存のインターネットの構造を変えたわけではない。したがって、それ自体はなんら革命的なことではない。ただ、そこに参加すること、つまりネット上での情報発信を簡単にし、結果としてネット人口の潜在的母集団をと情報の総量を著しく拡大したのである。 つまり、ウェブログというツールの登場および普及の技術的意義は、個人のネット社会への参加をこれまで以上に促進していること、またこれからもし得ることにあるのではないだろうか。

 つまり、ウェブログというツールの現代的意義、ならびにその潜在的可能性を考えていくためには、ウェブログそれ自体について議論するよりも、むしろ「ネット社会への参与が一般化するということは何を意味するか」(つまり個人がネット社会に気軽に参加できるようになったということは何を意味するか)という観点から考えていくべきだと筆者は考える。そして、この問題意識について考察を深めていくためには、1)参加する側にとっての個人的な意義、2)ネット社会の拡大と一般化のもたらす社会的な意義、というふたつの視点からの考察が必要となってくると思われる。

 さらに、その際に重要なのがウェブログのばら色の未来について思いを膨らませるよりも、むしろその限界について考えていくという姿勢だと思う。ウェブログにはできないことを考えること、つまりその限界を見極めることによって、かえってその現在的意義ならびに可能性を鮮やかに描き出すことが可能になるのではないかというのが筆者の現時点での考えである。

 こういった視点から、引き続きウェブログについて考えていきたい。

 過去記事

 いまウェブログを考える①  ウェブログってなんだろう?
ウェブログの可能性について考えていく際の参考リンク集
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コメント

ウェブログについて

たしかにウェブログは簡単に作成できますが、
インターネット利用者の中で、ウェブログはまだまだマニアックな世界だという気がします。

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