スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

善意は犬にでも食わせろ 

 さてさて、先ほどはone of この世で最も怖い人をメールで怒らせてしまい、われながら笑えるほど慌てふためいて平身低頭。平成の藤堂高虎と呼んでくれい。

 それにつけても、ホント人に喜んでもらうのって難しい。

 結論から言ってしまうと、結果がすべてなんだよね。背景の善意だとか思いやりなんてのはまったく関係がない。

 胸いっぱいの善意と優柔不断でまごまごしている醜男なんかより、胸いっぱいの虚構から甘い言葉と花束をスッと差し出せるホストの方がぜんぜんマシ。

 人間、残念ながら中身は目に見えない。外に現れたものがすべて。つまり、人と人のかかわるところでは、善意なんてのは犬も食わない。

 だから、とりあえず「善意」を言い訳にするのはやめましょうや。それが役に立つのは、法廷で時折情状酌量がされるくらい。第一、善意では腹がふくれない。
 
 でも、それでも善意だとか、そういう相手を大切に思う気持ちってやっぱ大切なんだよね。

 それがなかったら悔い改められないじゃない。どうでもいい相手だったら、別に失敗しても反省しないもの。

 もし、善意が本物ならば、失敗してからが歴然と違う。きちんと自分を振り返り、やり方を改めることができる。
 
 とにかく、大切なことは絶えず工夫を怠らないこと。まず相手を知り、己を知り、そしていまのもち札の中から最善のものを与え続けること。万全の想いを尽くして失敗し、そこから学び改め、捧げ続けること。

 いやはや、なかなかできることじゃありません。

 だから難しいんだな、人間関係って。

 しかし、だからこそ面白い。
スポンサーサイト

コメント

善意というものは、下手をすると単なるおせっかいになってしまうような気がします。それを受けとめられなかったときに「あなたのためを思って~」というのは、何だか美しくない。

「そうしたい」というのは「自分」が主体なんですよね。それを相手がどう受けとめてくれるかというのは、自分にはどうしようも出来ない。受けとめてもらえなかったときは寂しいのだけれど、それは自分のやり方が悪いときもあるだろうし、相手の考え方や精神状態にもよるかなと思います。

受けとめてくれた場合は、感謝かなと思う。自分が与えているようで、実は相手から与えられているのではないかと思うときが、よくあります。

うん、美しくない!!

 そうですねぇ、受け止めてもらったときには、むしろ感謝するくらいの心構えが大切かも。

 なるほど、甘かったです。

 ののかさん、ありがとう。

ああ

何だか「自戒をこめて」という感じなんですけれど。

寝太郎さんが以前くださったコメントの中で、そういう話があったと思うのですけれど。
電車の中で、お年寄りの方に席を譲った話。あのコメントの中で寝太郎さんは「喜んでくれたんです」という表現をしたいらしたと思います。
それは感謝じゃないかなと私は感じました。

訂正

「したいらした」→「していらした」です。

あぁ、そういえば

>ののかさん

 そんな言葉遣いをしたかもしれません。

 特に意識はしていなかったんですけど、確かにあの時は嬉しかったんですよね。

 そう、「よろこんでくれた」ってのは、意識せざる実感です。確かに。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://slumber365.blog2.fc2.com/tb.php/267-9b8746e7

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。