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司馬遼太郎  『功名が辻』 

 伊右衛門という男が現在の高知市をつくったわけだが、それはまったく土地を造成した、といえばいえるほどの土木工事だった。

 なにしろ、城に予定している大高坂山や海抜百五十尺で城郭をつくるにはなるほど手ごろだったが、ふもと一帯は、歩けば腰のなかに沈むほどの大湿地帯だった。

 宿命的な地相なのである。奥地から流れてきている巨大な川が、この岡にぶつかって一つは江の口川、一つは潮江川となってそれぞれ浦戸湾にそそぐ。この二つの川のつくるデルタ地帯が伊右衛門の城下になるはずであった。その川がくせものであった。川といっても堤防がなく、大雨がふるごとにはんらんし流れがかわり、いちめんが湖のようになり、やがて干上がると池と湿地をのこす。

 「はたしてできるかしら」
 
 と千代もうたがわしくなっていた。一代の英雄といわれた旧国主長曾我部元親もここに築城することにきめたことがあるが、中途で断念せざるをえなくなった。それほどの工事を伊右衛門がやろうというのである。

 「長曾我部元親ほどの人でもここの築城はあきらめたそうでございますね」

 というと伊右衛門は意外にいいことをいった。

 「元親ならできまい。利口者はえてして気がはやいものだ。おれは英雄ではないから、この工事はできる

 なるほど、伊右衛門には才気がないかわりにねばりがあった。

 治水の経験者である百々越前の意見を入れて、まず江の口川と潮江川の堤防をきずくことから伊右衛門は手をつけた。さらにデルタ地帯に運河を掘らせ、湿地の水を海にながした。

 湿地を埋め立てるのには、中高坂山という岡を切り崩し、その土を盛りつけた。

 さらに、建物のほうの城がある。これを建てるのも大変だった。土佐はもともと瓦ぶきの建物がまるでなく、そのため瓦が焼けない。瓦ひとつでも大坂から移入して来なければならなかった。

 石垣もそうである。土佐の城はほとんど土をかきあげて土居をつくった程度のもので、このため石垣を組む職人がいなかった。伊右衛門は石垣きずきだけのために近江の穴生の者を多数よんで土地の者を指導指揮させた。

 そういう総指揮をしている伊右衛門のすがたをみて、千代は、

(ほんとうにえらいひとというのは、こういうひとのことをいうのではないかしら)

 とあらためて亭主を見なおす思いがした。

 ある夜、

 「感心しました」

 と、正直にいうと、何がだ、と伊右衛門は不審そうな顔をした。このところ毎日工事場に出ているために、土工のように日焼けしている。

 「一豊様がおえらいということに」

 「ふん」

 伊右衛門はわざと鼻でわらった。

 「いまごろ気づいたか」

 「ええ」

 千代も笑っている。

 「どういうところがえらいと思った」

 「そうですね」

 千代は言葉をさがした。

 「鈍感なところ。―」

 「なに?鈍感な?」

 と伊右衛門は妙な顔をしたが、千代にすればそうとしか言いようがない。利口者なら地相をみただけで、ちゃんと目スジが通ってこれはだめだという。ところが伊右衛門はそういうことがわからないから、ひとに「なんとかならないか」とききまわって案を一つずつこしらえては一つずつ実現してゆくのである。大げさにいえば馬鹿の一得というものであろう

司馬遼太郎 『功名が辻』 第四巻

4167663155功名が辻〈1〉
司馬 遼太郎
文藝春秋 2005-02

by G-Tools


 p238~241
 司馬遼太郎の描き出す山内一豊の人物像は面白い。あくまで凡人、すこぶる凡人として描かれていながら、一方で24万石の太守となったことには明確な理由があったと納得せざるをえないような独特の凄味のある人物として描かれている。

 大きく分けると、成功するリーダーとは曹操型と劉備型の二種類に大別出来ると思う。

 曹操型とは、要するに英雄である。絶対的に衆に隔絶した能力を誇り、自らの力で道を切り開き、そしてそのあとを人々が争うようにしてついていく類の人物である。えてして、リーダーというものをイメージする際、人はこうした人物像を想像する。

 しかし、それでは才気・気概などで人に優れたもののない人間にはリーダーは務まらないのだろうか。決してそういうわけではないだろう。自らを英雄ならざるを知り、賢者・豪傑に敬意を払い、辞を低くして教えと助けを請うならば、そうしたリーダーは場合によっては英雄に勝ちうる…蜀漢の劉備玄徳のように。

  『功名が辻』における山内一豊の成功も、劉備型のリーダーとして描かれている。彼は妻の千代の知恵を素直に愛し、崇め、彼女の助言を受け入れ実行できる。「自らを知る」ことに長けた男だから、自らの器量以上の業績を上げ、土佐24万石の太守にまで上り詰める。

 しかし、まさにそうした彼の強みを、大国の国主になったいう驕りによって忘れたとき、彼は致命的な失政を犯してしまう。彼の前に土佐の国主であった長曾我部家の家臣たちを登用せず、それどころか郷士として差別し、弾圧し、幕末に至るまで根を引く土佐の階級対立の原因をつくってしまうのである。その時の、彼の無能さの描写は、深い人間知にあふれている。

 考えてみれば、劉備玄徳も人生の最後に家臣たちの反対を押し切って呉に対する遠征をおこない、大敗した結果失意の中に死ぬ。山内一豊の失敗もまた、同根のものなのかもしれない。劉備と較べるとスケールにおいても、人格においても比較にならないほど小粒な人物だ。しかし、だからこそ愛すべき人物として、時には英雄的に、時には人間的に、時には愚かに、時には意外に賢くと、本当に魅力的に描かれている。

 司馬遼太郎の小説の中でも、特に登場人物が生き生きとした名作といえよう。
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