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書評 呉連鎬 『オーマイニュースの挑戦』 

『オーマイニュース』の挑戦(アマゾンに飛びます)

本書は、日本の若い世代、特に現状のマスメディアに飽き足らない人たちに読んでほしい。ここには「世界をよくしたい」という青臭い人間たちがいる。そしてジャーナリズムの本流は権力批判にあるという、骨太のジャーナリスト精神が息づいている。

浅野健一



総評 
 
 心地よい力強さと、勢いに満ちた本。読み物としても面白いし、来るべき新たな時代の可能性と課題を随所に描き出している点で示唆に富む。お勧め!!


 
勉強の合間に、なかなか面白い本に出会った。 

 いわゆる「ペ」さまだの「イ」さまが氾濫する韓流ブームには抵抗を感じることの多い僕だが、それでも、やはりいまの韓国には若々しい勢いがあっていいなぁということを日々感じる。そんな韓国では、どうやらネット・ジャーナリズムが大きな影響力を持ち始めてるらしい…そんな話は、みなさんどこかで一度くらいは耳にしたことがあるのではないだろうか。

 そもそも、韓国といえばネット先進国(ネット利用者数3158万人、利用率70.2%)。日本では、よく著作権がらみの話で話題に上がることが多いのだが、総じて個々人のネット・ライフはかなり積極的であるといえるようだ。一方で、既得権益に胡坐をかいたマスコミは旧態依然の御用メディアと化し、国家権力に対する中立的な視座と批判能力を喪失いる点、どこかの隣国に事情は聊か似ていなくもない。

 そんな、既存もマス・メディアへの蓄積された不満が、ネットという突破口を得ることによって、一挙に新たな形態のジャーナリズムを定着させることになったのが韓国。そして、その新たなジャーナリズムの草分け的存在と言えるのが、有名なオーマイニュース(英語版)。「市民みんなが記者」というモットーが、その革新性を一言で言い表しているのではないだろうか。オーマイニュースの記者たちは、ほとんどが一般人であり、アマチュアである。書きたいことを書き、ネットに上げ、ネット上の読者がその良否を判断する。オーマイニュースは、いわゆるネットを媒介として、参加型ジャーナリズムの劇的な成功例として現在注目を集めている。

 前置きが長くなった、本書はそのオーマイニュースの創設者、呉連鎬(オ・ヨンホ)氏の体験談。これが、なかなか面白い。既存の報道体制に疑問を感じ、創業に一歩踏み切ったきっかけから、運営の苦労、ネチズンと連帯しての既存メディアとの戦い、ネットを媒介することで実現した市民運動の活発化…など、オーマイニュースをつくっていく過程と韓国社会の変動が、相互にリンクしながらダイナミックに描き出されている。 

 なんとも、多岐にわたる面白い記述の溢れる読み物なのだが、そのなかで個人的に興味深かったのは三点ある。既存のメディアとの戦いについて、経営という観点からみたネットメディア、更にネットというメディアのはらむ問題点についての呉氏の考察だ。以下、少し議論を紹介したい。

 韓国には、我が国と同じく「記者クラブ」なるものが存在し(というよりも、呉氏の記述によると、どうやらその制度は我が国からの輸入品らしい)、政府との馴れ合いジャーナリズムの温床となっていた。そうした堅牢な既得権益に新参者の、しかも素人の市民記者がいかに食い込んでいったか。最初はけんもほろろに追い出されるのだが、その過程を記者たちは現場から生々しく動画で実況中継したのだった。韓国の世論は沸騰し、ついには法廷で「記者クラブに所属していない記者が記者クラブに出いりしたり、取材したりすることを妨害したはならない」という判決が出るに至った。インターネットの可能性を感じさせる劇的な事件ではないだろうか。

 また、実際の経営についての記述も面白い。実際に「紙」を売る新聞社や、巨額の広告料をスポンサーが差し出すテレビと違い、ネット新聞の経営には金銭的な困難が付きまとう。オーマイニュースも、当初は広告収入でまかなっていたのだが、度重なるサーバーの増設や、記者たちへの報酬のため資金難に陥った。呉氏の解決策は、コンテンツの「自発的有料化」というものだった。彼は紙面で読者に経営難の実態を率直に訴え、そのうえで自発的なサポートを読者に求めたのだ。「ジャージャー麺一杯は3千ウォン、『オーマイニュース』特ダネも一ヶ月三千ウォン」、つまり、コンテンツは今までどおり誰にでも無料で提供するが、有志には購読料を払ってもらうというシステムを呉氏は読者に提案した。そして、大変興味深いことに、その「自発的有料」メディアは、そのことにより黒字をはじき出したのだった。今後のネットでの文化活動のひとつの指標になり得るエピソードではないだろうか。

 最後に、大変好感を持てた点は、呉氏が参加型ジャーナリズムの問題点をきちんと直視し、オーマイニュースの失敗についても率直に記述している点だ。呉氏が紹介するのは、ある市民記者の誤報が、別の市民記者について訂正されたという事件や、ある歌手についての評論が度を越して品性の欠落した内容であったため、本人からクレームが入った事件だ。呉氏は誤報や不必要な中傷など、参加型ジャーナリズムが犯しがちな過ちについて真摯に認めている。そうしたジレンマに悩みながらも、彼は「批判の自由」が社会に存在することが、「健康な社会を維持する一つの方法だと信じる」と述べる。その姿勢に非常に好感が持てた。

 ネットを媒介とした参加型ジャーナリズム、それはいままでなかった新しい挑戦であり、それゆえに可能性に溢れながらも問題点が多い。本書は、まさしくそのパイオニア的存在である呉氏による戦いの記録だと言ってよいだろう。経験に裏付けられた、実感のこもったことばには重みがある。しかし、僕が本書をたくさんの人に奨めたいと思うのは、全編に漲るなんともいえない「勢い」の快さである。まさしく、「新しい」ものが「旧い」ものの閉塞感を切り開いていく爽快感が漲った文章なのだ。現在、我が国で求められているのは、こういった勢いではないだろうか。万人にお勧めしたい好著である。

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以下、本文からの抜粋
 
「今私がやろうとしているインターネット新聞に来て、君の青春をかけてみないか?」

 彼は喜んで、「いいですね」と応じた。p19



 「ニュースゲリラ」はいたるところで「暗躍」している。一方向的なジャーナリズム、気取った韓国マスコミにもどかしさを感じていた市民は、『オーマイニュース』が創刊されるやいなや、続々とニュースゲリラになってどっと記事を流し始めた。創刊から6ヶ月間は習慣新聞にしようとしていた準備時の企画は、創刊号からたちまち日刊新聞に変更を余儀なくされた。



 自由には二重性がある。私たちは「匿名意見の自由」を保障している。それは、読者の表現の自由を保障するためだ。ところが、ある記者が「匿名意見からの自由」を望んだら?市民記者の中には実際そう主張する者もいる。匿名意見で傷つけられた市民記者は、「私の文には登録会員だけの意見を受け付けるようにしてください」と要求した。
 それで、私たちは市民記者の記事に、登録会員の意見だけ受けるのか、匿名意見も受けるのか、市民記者自身が選べるようなシステムを開発して、2001年から運営しているところだ。p117



 私は思い返してみる。1988年1月、月刊『マル』の記者として記事を書き始めてから、2000年2月に『オーマイニュース』を創刊してから、私自身とメディアによって「受けるべき批判以上の批判」を受けて傷ついた人はどれほどだろうか。私は彼らを批判できるほど、清く生きているのだろうか。信仰をもつ私にとって、これは重い負担となろう。私はこの本を通じて、私と『オーマイニュース』によって「受けるべき批判以上の批判」を受けた人たちに、私たちが掲載した誤報の被害者のみなさんに、再度頭を下げてお詫びしたい。
 
 それでも私がマスメディアに居るのは、『オーマイニュース』が今日も政治家と企業と団体を監視し、批判する記事を掲載するのは、批判の自由を保障することこそ健康な社会を維持する一つの方法だと信じるからだ。社会の誰かが傷だらけになっても、真実は明らかにされなければならないからだ。

 さらに言うと、『オーマイニュース』が創刊初期からこれまで、記事の半分以上を心温まる「暮らしの中の話」で埋めているのは、このような「嫌なこと」が人生のすべてではない、いや、すべてであってはならないと信じるからなのだ。p128~129

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