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こんなとき、あなたならどうしますか? 

 基本的に、寝るとき以外は窓を開け放しておくことが多い。

 通気もよくなるし、なんとなく気分もすっきりするのだ。

 さて、久々に家でゆったりと読書中、傍の団地の自転車置き場からガキの怒鳴り声が聞こえた。
 耳を澄ませていると、どうも兄が弟に八つ当たりをして、そして暴力を振るっているようなのだ。

 「マジで、殺すぞ!?あぁ!?」

 と、声変わりもしていないようなクソガキがわめき散らしバットとおぼしきもので周囲の自転車を殴っている。

 ガシャガシャと自転車がドミノ倒しになる音がする。
 
 弟はただ泣いている。

 それもただの泣き方ではないのだ。

 ただ、悲しい。

 自分が、なぜ大好きなおにいちゃんからこういう扱いを受けているのかがわからない。

 そんな感じの泣き声なのだ。

 この世に、弱い者いじめほど醜いものはないと思っている。ああいう風景をみると、いじめてるほうを殺してやりたくなる。

 とにかく、こっちとしても読書に集中できないし気が滅入る。何より頭にくる。

 あれは公害だ。

 よし、決めた。

 あのガキ、ぶっ殺す。

 そう思って玄関を飛び出した。

 しかし、そこで考えてしまう。 

1)完全な第三者が子供のけんかにしゃしゃり出るってどうなの?

2)これで自分が行って兄貴をぶん殴って、親のところへ連れて行き「お宅はどういう教育をしてるんですか」うーちゃらあーちゃらとやったところで、いじめがエスカレートするだけなのではないだろうか?

3)そもそも、自分だって小さいころは、よく妹に八つ当たりした。自分に責める資格があるのか。

4)力で力を押さえつけても、ただの対処療法。怒りが再生産されるだけ。どうすればいいんだ?

 そんなことを考えているうちに、わめき声その他の物音はやんだ。

「てめぇ、ちゃんと直しとけよ。じゃなきゃ、マジ、殺すからな」

 そんな声が聞こえた。

 ハッと我に返って、様子を見に行くと、弟とおぼしき4~5歳の子供が一人で泣きながら倒れた自転車を元通りにしようとしていた。

 当然、子供には無理な重さ。

 それでも、よほど兄貴が怖いのか、必死で自転車を起こそうとする。

 なんだか胸がいっぱいになった。

 もちろん、手伝ってあげた。

 5分ほどで、すべて元通りにし、弟は初めてこっちを見た。

 卑屈で惨めな表情だった。

 消え入りそうな声で、「ありがとうございました」がくる。

 5歳でそんな声だしてどうする?

 そんな顔すんなよ、頼むから。

 涙が出そうだった。

 何か言おうとしたのだが、こういうときに限ってことばが出てこない。

 ただ頭を撫でて

 「ほら、もう大丈夫だから、はやくおうちかえんな」

 と一言告げて、きびすを返した。

 やっぱりもっと早くに駆けつけて、なんとかするべきだった。

 そんな後悔。

 自分はいつもそう。

 短気で激情家のくせに、いざ感情を爆発させようとする直前でいつも待ったをかけて考え込んでしまう。

 自分の面子だとか、いじめてるやつの気持ちとか、そんなことはあの際どうでもよかったはず。

 ただ、悲しい思いをして泣きじゃくっている4~5歳の子供がいた。

 そして、自分は助けられるときに助けなかった。

 才知、胆力、度量、廉直、義侠心…男にはそういったものの他に決定的に必要なものがある気がする。それは、ある種の野獣の「猛気」。時として感情を爆発させて、自らを問題の渦中に投げ込み力づくで状況を切り開く…そういうところが、自分には決定的に欠けているなということを、時々強く感じる。

 それが自分の弱点であり、また英雄たり得ない最大の理由なのだろう。気迫の問題とも言えるかもしれない。そういう自分を、軟弱だとすら思う。

 理由とは後から考えるものなのだ。

 下手な考え、休むに似たり。

 どうも自分は、立ち止まって考えすぎる。

 とにかく、まずは飛び込む習慣をつけたい。渦中にいなければ、手を差し伸べることのできない人が大勢いるのだ。他人に巻き込まれるのではなく、他人を巻き込もうという覇気が、いま欲しい。

 結局、考えるだけでは誰も助けられないのだ。
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コメント

昔だったら、近所の人に叱られたりすることもあったと思います。
けれど、今は他人の子供を叱るというのは、なかなか難しい。

いろんな人に接することで、子供は多様な価値観というものを知っていくものだと思うのです。
叱ってくれる人もいれば、甘えさせてくれる人もいる。
そういう環境の中で子供が成長していけるような社会であって欲しい。

まあ、このお兄ちゃんには頭ごなしに叱っても意味ないような気がしますけれどね。だからと言って叱ることが悪いことだとも思わない。
ダメなものはダメと言ってくれる人もいてもいいと思う。
その一方で「どうして、そんなことをするの?」と聞いてくれる人もいいと思う。
「うるせいな、てめえ!」と言われるのがオチかもしれませんがね。

そういう子がいましたわ。そういう子に限って抱きしめると、照れくさそうに逃げてしまう。子供って面白いものだな、と思いました。

うん、やっぱ何か働きかけるべきでした

>ののかさん

 ああいう子供って、根が悪いわけじゃないと思うんですよね。

 ただ、不幸なだけなんです。

 周りの愛情に対して心を閉ざしてしまって、苛立っているような気がしました。自分にもそんな時期があったもので。

 ああいう時って、一発本気で叩かれないとわからないんですよね、きっと。

 かわいそうになと、いまは思います。

最近はおせっかい、だいぶしなくなりました。
それより、自分磨いておこうと。

あとですね、大人にいろいろ言っても、結構手遅れって人もいますよね。

だけど、子どもには未来があります。
保育士を目指してる女友達から教わったんだけど、
子どもが泣き叫んでる時って、大人がしっかり目を見て話すと
泣き止むことがあるそうですね。
つまり、ちゃんと一人の人格として接することが大事だと。
確かに、一緒に食事をしてる時、子どもが泣き叫んでたけど
お母さんが目を見て話してたら、きっちり泣き止みました。

だからぼくも、子どもの場合は何か言うかもしれません。
「賭け」ですけど、将来響くという方にぼくは賭けたいですね~。

手遅れな人

>とよさん

 うん、悲しいですけど、そういう人いますよね。

 自分に不幸を招き寄せるような生き方にしがみついてしまう人。

 時々、街でそういう人を見かけますが、本当にかわいそう。

 でも、そういうのって結局、その人の問題なんですよね。そして、それは誰にも肩代わりができない。

 だから、結局自分を磨くのが一番なのかもしれません。

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