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自分自身を受け止める勇気 

 ありのままの自分を受け止めるには、意外に覚悟が必要らしい。

 たとえば、エントリーをした企業の大半は、履歴書で落とされ会ってすらもらえないわけだが、まぁ、これも自業自得なのだろう。実力相応の結果。

 どんなに丁寧に書いているつもりでも、自分の恐るべき悪筆では汚く見えるのだろうし、いわゆる企業の人事の方に気に入っていただけるような自己PRやら志望動機も書けていないということなのだと思う。これも自業自得。実力相応の結果。

 要は、その程度の器だということだ。

 しかし、どうやら馬鹿げたプライドがやはりあるらしい。そのせいで、なかなか、ありのままの自分を受け止めることは難しい。

 受け止めているつもりでも、無意識のうちに、どこかで自分はもっと価値のある人間であるはずだという希望的観測と妄想を暖めてしまっている。

 まずは、実像以上に自分を大きく見たいという弱さをなんとかしなきゃいけない。修士レベルの勉強などは、所詮はお遊び。自分はただの世間知らずの若造に過ぎない。履歴書を見ただけで、採用する価値がないと判断されてしまう程度の人間でしかない。
 
 履歴書もまともに書けないようなただの世間知らずの若造としての自分に立ち返って、そこから現実にぶつかっていく。世間知らずの若造の目線から考え、世間知らずの若造として現状を打開する。

 ありのままの自分を受け止めるとはそういうことだ。

 最近は口に出さなくなったが、やはり父は自分に失望している。父は自分に学者になって欲しかったのだと思う。少なくとも、父は自分が人と違った生き様、傑出してユニークな人生をおくることを幼いころから期待していてくれた気がする。

 やっぱり、小さいころから「規格外」だったからだろう。

 時々、自分の両親が気の毒になることがある。「規格外」の息子を持ってしまうと、やはり彼が「傑物」であるとか、ある種の偉才であると信じたくなるのが人情なのだろう。実際、幼いころの自分には多少は神童めいたところも無くはなかったから、なおさら藁をもすがる気持ちで漠然とそういった希望を抱いていたのではないか。

 しかし、どうやら自分はただの「規格外」…英雄でも傑物ではなく、ただの出来損ないだったようだ。たかが企業の人事のご機嫌もとれないで、天下国家を語ろうとしていたのだからお笑いだ。もっとも身近な人たちも喜ばせてあげることもできず、わが国にもう100年の平和な時代を築きたいなどと本気で考えていたのだから滑稽だ。

 いいのだ、お笑いで。いいのだ、滑稽で。

 まずは、出来損ないである自分をしっかりと受け止める。そのうえで、出来損ないとしていまできることに全力を傾ける。

 「自分」と「ありのままの自分」が乖離しているとき、そこに苦しみが生じる。

 「ありのままの自分」というものは、大概、果てしなく深い谷の底にあるもの。登り出ようとすれば、いつかは出られる。なのに、彼は空ばかりみているから決して出ることはできない。

 それどころか、彼はあまりにも長く空を見上げているため、自分が谷底に落ち込んでいることにすら気づかない。少し周りを見ればすぐわかるようなことなのだが、それすら彼はしようとしない。ただ、漫然と絶壁の上の青空を眺め続ける。

 ひとつにならなければならないと悟った谷の上の「自分」は、谷底にいつまでも佇む「ありのままの自分」を見下ろし、愕然とする。谷の上から引き上げてやればよいのだろうが、縄をおろしても彼は取ろうとせず、大声で呼びかけてもまったく気づかない。

 どうしたら「自分」は「ありのままの自分」とひとつのなれるのか。

 結局、「自分」が思い切って谷底に飛び降りるしかないのだ。谷底で「ありのままの自分」と向き合い、そしてひとつになったうえで少しずつ絶壁をよじ登っていくしかないのだ。

 とすると、「ありのままの自分」を受け止めるとは、そんなに難しいことではない。

 ただ、谷底を覗き込む勇気と、身を躍らせて飛び降りる勇気。これらがあれば、実に簡単なことなのだ。

 結局、禅というのも谷底に飛び込む行為なのかなと、書きつつ漠然と思った。今度、住職様に聞いてみよう。
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コメント

こんにちは。

>「自分」と「ありのままの自分」が乖離しているとき、そこに苦しみが生じる。

はい、ごもっともです。私も常にそうです。

>結局、「自分」が思い切って谷底に飛び降りるしかないのだ。谷底で「ありのままの自分」と向き合い、そしてひとつになったうえで少しずつ絶壁をよじ登っていくしかないのだ。

鋭い考察と、思わずため息が出るほどの上手い比喩です。何だか国語の勉強をしているみたいにv-290
寝太郎さんは、本をたくさん読まれる方ですか?

私も、常に葛藤しています。節々に自分のやっかいなプライドというものが顔を出してきて、「あーまたやっちゃった。」と思うこともしばしばです・・・。(笑)

どうもありがとう

>sayakaさん

 一番書きたかった部分にそうやって共感していただけると、本当に嬉しいです。

 どうもありがとう。

 谷底のたとえの部分は最初はぜんぜん違った文章だったんです。けど、推敲しているうちにこういうたとえになりました。

難しい問題ですが

こんばんわ。

「ありのままの自分」と「自分」について気になったのですが、寝太郎さんが考える「ありのままの自分」とは誰の目線の自分ですか?

「ありのままの自分」=「他人が思うであろう自分」になっていませんか。

寝太郎さんは、「他人が思うであろう自分」に失望を感じてらっしゃるのでは無いですか。違ったらすいません。そんな感じがしたもので。

お笑いでも滑稽でもありませんよ。
自分を本気で信じないと、覚悟を持った第一歩は踏み出せない、と私は思います。

自分に向かって、自分が谷底にいるとは決め付けないであげて下さい。

空も谷もありません。そこにいるだけなのですから。最初から最後まで。

ありがとうございます

>hapicubi_ottoさん

 あぁ、とても暖かく、そして深いコメントをありがとうございます。

 嬉しいです。

 「そこにいるだけ」

 頭ではわかっているのです、ただ、それが実感できずにいるのです。そういえばわかっていただけるでしょうか。

 「そこにいるだけ」であるはずの自分が谷の上と底に別れてしまっていて、どこにもいない気がするのです。

 だから、信じてあげたくても、誰を信じてあげたらいいのかわからないのです。
 
 だから、

 「ありのままの自分」=「他人が思うであろう自分」

 になってしまっているのだと思います。

ぼくは以前、求人情報雑誌をつくる会社で営業をしてました。
しかも、新卒採用の媒体を扱う部署にいましたが、
採用不採用はお見合いと似たようなものだと思ってます。

いくらエントリーシートに素晴らしいことを書いても、
その会社が「学校歴最優先」だと、
偏差値50だけど誰もが認める人格者の学生よりも
東大生をとるでしょう。

「ものさし」は企業によって違いますからね。
自分のありのままを出して、受かったところの方が、
きっと、仕事もしやすいと思いますよ。

こんな事例がありました。
昔、「男は黙ってサッポロビール」なんてCMがありましたが、
ある学生、面接で一言も喋らなかったんです。
訝しがった面接官、「何か話しなさい!」と注意したら
「男は黙ってサッポロビール」

これで採用決定したそうですよ!
人生何がいいのかわかりません。
寝太郎さんの長所を最大限に磨きましょう!それを大事にしましょう!

う~む

>とよさん

 とよさんって、やっぱすごいです。なんていうか、人としての経験値が。

 かなわないなぁ…。

 これからもいろいろ教えてくださいね。

 ありがとうございました。

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