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末次由紀氏のパクリ問題について思う~模倣、パクリ、二次創作…わからなくはないけど歪んでないか?~ 

 なんか嫌だ

 騒ぎになる理由もわかるし、出版社がとった措置について大筋は納得しつつも、どうも何か腑に落ちない
 これって、「連載の即刻中止を決め、末次氏のすべての単行本も 出荷停止・絶版・回収の措置」をとるほどの大事件なのだろうか。ひとりの漫画家のキャリアをめちゃめちゃにするほどのことなのだろうか。彼は、これからどうやって生活していくんだろう。そんなことが気になって仕方がない。

 なんのことだかわからない方々は、こちらの記事こちらのサイトをご覧ください。

 
 そりゃあ、一般論として「パクり」は褒められたことではない。けれど…雑誌連載中止・全単行本絶版・出荷停止ってどうなんだろう。

 漫画や美術のことはよくわからないので、少し音楽を題材に著作権について考えてみたい。

 バッハやモーツァルトがいわゆる「パクり」の常習犯だったことはご存知だろうか。彼らは、自分が気に入ったフレーズがあると、それを「パクって」自分の作品に取り込んだという。

 バッハの場合はいくつかの作品において、どうやらヴィヴァルディの作品を土台に作曲、もとい編曲したらしいという事が最近の研究で解明されている。
 
 モーツァルトにいたっては、確信犯的にハイドンの開拓した四重奏の新様式を真似、それを本人に送りつけて喧嘩を売ったり、あるいは気に入らないライバルの曲から中心的なフレーズを抜き出して、それを元にそれらを遥かに上回る名曲(魔笛の序曲なんかがそうらしい)を作り出したりしている。

 また、明確な「パクリ」ではないものの、かのブラームスも彼の交響曲1番を発表した際に、その一部がベートーヴェンの第九に酷似していると一部の批評家に叩かれ、彼はそれに対して、「そんなことは、曲を聞けば猿にだってわかる」とかなんとか(ちょーうろ覚え)吐き捨てたという。

 さて、これらの作曲家は当然、「パクリ」元の了承など得ていないし、引用元をスコアに記したりもしていない。まぁ、確かに当時は著作権とかそういうのが大らかな時代だったから、それほど問題視されるような行為ではなかったのかもしれない。が、しかし曲によっては、いまの基準でいうならばどう考えても「二次創作」としか言いようのないものもあるのも確かだ。さて、それらは「パクリ」といえるだろうか。

 さて、一方で話は変わって、現代の日本のブログ界。今週の初めだったか、ある芸能関係の大手ブログが、「弱小」ブログの記事をほとんどそのまま無断で「転載」し、大騒ぎになるという事件があった。詳しい事は、こちらのサイトを読んで確認していただきたいが、なるほど、そういうのは単なる「パクリ」だろう。(ちなみにこの騒動の結果、双方のブログがきわめて不愉快な経緯によりともに閉鎖の憂き目にあうこととなった)

 あるいは、最近の笑える例ではこんな犯罪的なケースすらあったりする。また、例の人気アイドル歌詞盗作騒動(ただのばか)も記憶に新しいところだろう。さらに、かく言う自分自身、かつてある記事が一字一句たがわず面識のないブログに無許可で転載され、不愉快な思いをしたことがある。

 ぐだぐだといろいろ書いてきたが、何を問題にしたいのかというと、その末次由紀氏の「盗作」とやらはそれほど問題のある行為なのだろうかということ。

 もちろん、いいことではない。ただ、いわゆる、パクリサイトだとか、安倍なんとかの歌詞盗用だとかとはカテゴリーが違うのではないか。そんなことを感じる。

 例えば、以下の二つの例を見て欲しい。ひとつはバスタードからの盗用とされている図柄であり、もうひとつはスラムダンクからのそれとされているものである。

 なるほど、確かにある種の「パクり」が行われている事は確かだろう。しかし、それは別にパクリもとの物語そのものを完全盗作したわけではない。(まぁ、ちょっとスラムダンクのはひどすぎる気もするが 笑)むしろ、それは二次創作だといっていい。それって、そんなに問題なんだろうか?それが気になって仕方がない。もちろん、法律上はいろいろ難しいのだろうが、それってバッハやモーツァルトがやってたこととあまり変わらないのではないかと思ってしまう

 もちろん、僕はこの末次氏の作品を一切読んだことがないから、彼の「パクり」がどの程度まで、二次創作として優れていたかはわからない。ただ、こういう種類の創作活動を「パクり」として外野が断罪し、漫画家の作家生命を絶ってしまうのは芸術的に不毛なことだと思う。それは、創作という営みの中から何かとても重要なものを抜き取ってしまうのではないかという気がするのだ

 随分考えたけれど、やはり今回の騒動には何か根本的な違和感を感じる。これは、例の大河ドラマ「武蔵」の盗作疑惑騒動のときに感じたものと似た違和感。

 著作権…というよりも、創作者の尊厳と作品に対する権利が尊重されるのは大切だけど、この教科書の件といい、なにかが深刻に歪んできている気がするのだ。しかし、世の中の多くの人とは意見が違うようで、自信がなくなる。自分の疑問は的外れだろうか?読者の皆様はどう思われるのか、ご意見をお聞かせいただければ嬉しい。

 なお、最後に、少し議論の文脈とはずれるのだが、著作権という問題についてローレンス・レッシグ教授が行った有名な講演(日本語字幕あり、30分ほど)がある。批判のある方は、こちらを合わせてお聞きになったうえで、ご意見をうかがえたらありがたい。

追記

 ってか、そもそもわが国には「本歌取り」という誇るべき歴史的伝統があるじゃないか。そんなことをふと思ったので追記。
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コメント

トラックバック・コメントありがとうございました。

トラックバックありがとうございました。
今回の場合、ほとんど絵をトレースしているように見える事がちょっと問題で、構図がはっきりと同じでそのまま借用になってしまった事が大きいのでしょうね。
でも、今回の件がパクリでしかないとしても、どこまでがパクリかを言い始めると創作全般何もできなくなるので、いきすぎた措置はとらないほうがいいというのが私の意見です。
日本の歌謡曲でも似たフレーズの曲だけれど、それはそれで良い曲もありますしね。
マンガの場合は、手塚治虫とちばてつやの開拓した表現の模倣がいっぱいですし。

日本という村

なんか嫌だ、という寝太郎さんの感覚、とても共感しますね。
やもするとパクリを承認するような意見に受け止められかねないデリケートな文言だと思いますが、きちんと読めば、そういうことが論旨じゃないことはあきらかです。

ちなみに私がこの手の問題でいつも不快に感じるのは、日本特有の現象のように思うんですけど、世間や世評という第三者の介入です。ネットの普及によって、いまや世間は摘発者としての役割も果たすようになってきました。総監視システムというか、確かにパクリは許されない罪ですけど、それを摘発する「正義の言論」ってやつが私にはウザイものに見えますね。
当事者同士でケリをつければ済む問題までも、キャンキャンわめき立てて当該者を社会的に抹殺するところまで追いつめてしまうこの空気。パクリの罪よりも、こういう空気のほうが私はキライですね。
法的ペナルティに加え、世間からの制裁というペナルティがあるなんて、相変わらず日本は巨大な村社会だなと思いますね。

出版とインターネット

いくつか書かせて下さい。長文です。

まだ、教授のビデオは見ていませんが、後ほど拝見させて頂きます。

出版社による回収と絶版、そして連載中止についてですが、これは講談社としては当然の処置だと思います。
今回、末次氏が井上氏のカットを模倣したワケですが、世間の判断では「悪い行為」になっています。私は法律家ではありませんが、著作権侵害については権利者が侵害者に対して、侵害行為を訴える事で初めて違法性があるかどうかが争われる事になりますよね。今回井上氏は末次氏に対して特段のアクションは起こしていないようです。
「ならいいじゃん」と思われるかもしれませんが、講談社としてはそうは行きません。「違法である可能性の高い」作品を「印刷して出版して頒布してしまった」ワケです。無断転載、複製、複写禁止って必ず書籍の最後に書いてありますよね。それを講談社はやってしまったのです。気付かなかったとしても。これは、末次氏と共に井上氏から訴えられる可能性があるという事です。
でも出版し頒布してしまった事は事実ですから、せめてその違法性のあるものを「回収」し、さらに今後広まる事のないように「絶版」する事にしたのです。厳密には、違法性があると確認された作品群に限ればよかったのでしょうが、確認と判断の時間的な都合と、後述する連載打ち切りの理由とも重なると思います。
連載打ち切りは、講談社の立場に立てば、「末次氏は危険な作家」という事になると思います。またいつか知らない間に、侵害行為の片棒を担がされるかもしれないのですから。
出版社は作家のモラルを信じなければ、仕事は出来ないと思います。モラルがない人と仕事をするには、過去に出版された「全ての著作物」との照合作業が必要になってしまいます。こういう理由で、連載打ち切り(契約解除、出入り禁止とも言えるでしょう)

佐伯シリルさんの文の中で、
>当事者同士でケリをつければ済む問題
>相変わらず日本は村社会

という言葉が出てきますね。私はこれは違うと思います。いや、昔はどこもそうだったでしょうね。TVや新聞、インターネットなどがなかった時代には。
けれど、TVが出来た時も、ラジオが出来た時も、新聞が出来た時にも、同じ事を感じた人々がいるでしょう。ネットが出てきてさらに情報の伝達速度が上がった為、「当事者同士ではすまない」状態になったと思います。TVやネットの普及によって、相変わらず村社会、なのではなく、村に戻った(世界が狭くなった)という事ではないでしょうか。

作家という職業もそうですが、社会的にある程度影響力のある人というのが存在します。彼らは大きな影響力と同時に「大きな反響」をも併せ持っている事を忘れない方がよいでしょうね。

以上です。
  • [2005/10/21 22:12]
  • URL |
  • 関心を持つ者。
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

末次某が断罪されたのは、パクリ元の作品&作者に敬意を示さなかった(問い合わせに対して逃げまくった)からなんですけど。
パクリの是非と、パクった人間のモラルの問題を一緒くたにしてませんか?
  • [2005/10/22 07:24]
  • URL |
  • もうちょっと勉強しようね
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

>>末次某が断罪されたのは

のま猫問題問題で見られた「一部の2ちゃんねらー」に見られる思考そのものですねw

行き過ぎという感覚

>さとぴ~さん

 そうなんですよね。

 大筋としては末次氏の行為に問題がないとは言えない。

 ただ、この反応の大きさには何か度を越したものを感じます。

 うまくいえないのですが。

要は空気の問題です

>佐伯シリルさん

 そうなんです。

 具体的になにがどうというよりも、何かこうこの「空気」に深刻な違和感を感じます。

 顔の見えない第三者たちが絹で首を絞めるようにやんわりと誰かを追い詰めるこの空気。

 重苦しいといいますか…息苦しいです。

とても勉強になりました

>関心を持つ者さん

 なるほど、講談社側にたった視点の考察、大変参考になりました。僕も、特に異存はありません。

 関心を持つ者さんのご意見を拝読していた思ったのは、この問題は思ったより根深いんだなということです。

 僕は講談社による処分や、一連のネット上の騒ぎに違和感を感じています。けれど、これは「著作権」というものを中核に、創作物が知的「財産」として囲い込まれている時代のルールからみれば決して的外れな反応ではないのかもしれませんね。

 そうなってくると、問題の所在は「著作権」というものを核にした知的財産のあり方そのものの根底にある考え方にあるのかなぁなんてことを思いました。

>社会的にある程度影響力のある人というのが存在します。彼らは大きな影響力と同時に「大きな反響」をも併せ持っている

 これは、力の大きい人間はそれに応じたモラルを要求されるという趣旨のご意見ですか?

 それはそのとおりだと思いますし、わかるんです。ただ、あまりにも今回の経緯は「救い」がないというか、徹底的な断罪に終始してしまいそうでやり切れない感覚がするのです。

 まぁ、僕の感傷の問題なのかもしれませんけど。

なにを勉強したらよろしいでしょう?

>もうちょっと勉強しようねさん

 
 >パクリの是非と、パクった人間のモラルの問題を一緒くたにしてませんか?

 うん、これは仰るとおりだと思います。すみません。

 どうも、感傷というか、この漫画家さんに対する同情が先立って論旨が混乱してしまったみたいですね。申し訳ない。

 しかし、もうちょっと勉強しようねさんがおっしゃるように、末次氏断罪の理由が、「パクリ元の作品&作者に敬意を示さなかった(問い合わせに対して逃げまくった)から」だということになると、皆さんはは必ずしもパクリそのものは特に問題視するにはあたらないという見解を共有していらっしゃるのでしょうか。

 勉強不足で申し訳ありません。

>アイタタタさん

 この問題が、一部のま猫問題とどこかリンクしているというのは、僕もなんとなく感じています。

 何がどうとはいえないのですが。

>彼は、これからどうやって生活していくんだろう。

パクらないと漫画描けないんだから仕方ないのでは?>首切り
スポーツ選手だって、打てない・走れない等で戦力外通告を受けるのは当たり前です。

生活の心配なんて、変だと思います。

だって、漫画が描けなくても生活している人は、この世に大勢居るのですから。

著作権法関係は苦手ですので、一市民としてのコメントです。
売れっ子の漫画家さんは毎月大量の絵を描くわけですから何も参考にしないで書けるわけはないと思いますが、確かに今回の件はやりすぎみたいですね。
以前、明らかにマトリックスのアクションシーンを強く参考にしたと思われるマンガを見ましたが、特に問題にはならなかったと思います。
誰が見ても見た瞬間に「あー、あのシーンだ」と分かるならば、笑ってすませられちゃうのかもしれません。

まー、私から言わせますと、最近(といってもかなり前からですが)の少女マンガはどの作者の作品を見てもみんな同じに見えます。顔の区別がつきません(^^;

これでも昔はよく読んだんですよ、少女マンガ。
大島弓子のファンでした。

で、今回の出版社側の対応ですが、結論的にはやむを得ないだろうと思いますが、出版社側も問題になる以前から気が付いていたフシがあるようですね。
ご本人のコメントに

>やってしまったことの重大さに心はどんどん重くなり、その夏には「こんな自分が漫画家として描いていっていいわけがない」と、漫画を描くのをやめたい・やめよう、と思って担当さんに相談したりもしていました。
>新連載の開始時期は夏前からすでに決まっていて、それはどうしても動かせないと言われ、『仕事』として目の前に用意されているものを置いておくこともできずに現在に至っています。
(http://tretre.fc2web.com/syakumei.html)

とあります。

何時、何を相談したのかがはっきりしませんが、問題になる前に盗用問題が相談されていたのであれば、出版者側の対応に釈然としないものを感じます。

それは理屈としては正論ですが…

>通りすがりさん

 通りすがりさんのおっしゃることは正論だとは思います。

 だだ、僕は本人の気持ちになって考えたとき、末次なんとかさんは辛いんだろうなぁと同情してしまうのです。

 漫画をかけなくても生活している人が大多数なのは当然のことです。けれど、問題の本質は末次氏が漫画を書いて生活していたという事実そのものにあります。

 通りすがりさんがどのようなお仕事をされて生計をたてておられるのか僕は存じ上げません。ただ、どんなに自分に落ち度があり、自分でそれを納得していたとしても、それまで天職として毎日励み、多くの人に喜びを与えてきた職業をうしなうことに平静な気持ちでいれますか?少なくとも、僕だったら、やはりとても辛い気持ちになると思います。

 それに、自分の表現の手段をうしなうことは、ある種の人間にとっては本当に身を切られるような苦痛です。僕だって、ある日突然書くことができなくなってしまったら、どれほど苦しいことか。
それを思うと、同情に耐えないのです。

 さらに、第二点。

 末次氏が間違いを犯したのは事実ですし、責任をとることは当然のことです。
 
 ただ、どの程度の責任の取り方が適切であったかというのは議論の余地があるのではないでしょうか。

 こうした、ほとんど公的な世界からの追放に近いような処分に、果たして末次氏が値したのでしょうか?また情状酌量の余地はなかったのかのでしょうか?バッシングする側も、出版社もそうした観点からの配慮が少し足りなかったのではないかと思います。

 過ちは誰だって犯してしまうものです。そして、それは責任をとるべきです。しかし、同時にわれわれはどこかで赦さなければ共に生きることはできないのではないでしょうか。もしわれわれがどこかで赦すという知恵をわきまえなければ、世界はなんと殺伐と潤いのないものとなってしまうでしょう。

 そして、どの時点で赦されるべきかどうかは、過ちを犯した人自身がどれだけそれに値したかによるのではないかと思います。

 僕は末次氏の作品を読んだことがないのでなんともいえないのですが、しかし多くの人がかの人によって感動や喜びを与えられてきた事は事実です。

 その功績は、赦しに値しないでしょうか。

 そんなことを僕は考えているのです。

>モトケンさん

 マトリックスのアクションシーンを参考にした漫画、僕もどこかで読んだ記憶があります。なんでしたっけ…、とにかく微妙にウケたのを覚えてます。

 しかし、出版社側が気づいていながらそれを放置していたとしたら、それは大問題ですね。

 講談社のあの迅速な決断の背景には、やはり何かきな臭いものを感じます。トカゲの尻尾きりというのは本当かもしれません。

トラバ・コメントありがとうございました

初めまして。トラバ&コメントありがとうです。私は末次由紀先生の作品、殆ど読みました。出身が同じ福岡ということもあって何気なく手にとって見て彼女の世界ハマッてしまった1読者です。寝太郎さんはまだ読んでないとのことですが、本当に考えさせられる物が多いですよ。

今回のことは彼女のファンとして非常に残念であると同時に、いささかの疑問点を抱かずには居れないわけです。
自ブロにも書きましたが、彼女の作品すべてを絶版にし、現在描いている作品も途中で打ち切り・・・読者としては腹立たしいですね。作者ばかりが悪いのか?当の作品が出たのはかなり前のことです、出版社側は気づかず、見過ごしてます。見つかったとき作者が井上氏に対して謝罪や何らかの行動を起こせなかったのも講談社側から行動の制限があったとも考えられます。こういう贖罪の仕方は罪の根本が理解できているとは思えません。もちろん、作家にあるまじき行為です。が、作者だけを切り捨てるやり方に憤懣やるかたなし!って感じです。だって結局迷惑してんのは打ち切られた作品を楽しみにしていた読者ですから。。。

やっぱり読者の方が

>ヒマきょんさん

 なるほど、一読者としての率直な感想、とても参考になります。

 やはり納得できませんよね。僕は末次氏(女性だったのですね!!)の作品を読んだことがないけれど、その気持ちはなんだかわかる気がします。

 僕はね、やっぱり末次って人は赦される価値があるような気がするんですよ。だから、責任をとるにしても、漫画を描くという形でとるべきなんじゃないかなと個人的には思います。

 まったく、本当に嫌な騒動ですね。

 

女性ってやはり、スポーツとかメカニックなものは少し苦手なんだと思います。そんな一部のコマを鬼の首でも取った様に騒ぎ立てる行為が少し行き過ぎてる感じ、弱者に回ったものをこれでもかと集団で苛めるようでなんか眉顰めてしまうというのが実感でした。
この手のことは度々起こってます。

イラクで殺された青年に対しても
集団のヒステリー現象(バッシング)に近いものを感じる。中国や韓国の反日の国民感情もこれに近いものがあり、この手のモノには巻き込まれたくないです。

本当、そうですね

>makoron

 同感です。

 一言で言うと、醜いんですよね。

 なんとかこういうものを防ぐことはできないのでしょうか。

 ネット上での、ある種の防波堤のようなものを制度的に築けないかどうか、そんなことを時々考えます。

×彼○彼女

末次由紀はなっちよりもひどいよ

失礼ですが・・・

末次さんの作品をお読みにならずに文章を書かれてますよね?
絵だけでなくセリフ(ご丁寧に改行位置まで)や作品タイトルまで完全に複製していますよ。
元作品のファンから見ると、本歌取りにもならないほどの安易な劣化コピーを擁護する理由が理解できないのですが。
作品をコピーされた当事者にしてみれば、講談社の取った措置は当然でしょう。
それをヒステリックな対応、と仰るのは、本家作家やそのファンからすれば完全に履き違えた見解です。
粋を気取ったつもりかも知れませんが、所詮他人事、で遠巻きに冷やかしてるだけですね。
それならば、無責任な擁護はせずに「巻き込まれ」ないよう無視していればよろしいのでは?

Re: Re: 失礼ですが・・・

> 粋を気取ったつもりかも知れませんが、所詮他人事、で遠巻きに冷やかしてるだけですね。
> それならば、無責任な擁護はせずに「巻き込まれ」ないよう無視していればよろしいのでは?

おっしゃるとおり、正直どうでもいいです。

> 絵だけでなくセリフ(ご丁寧に改行位置まで)や作品タイトルまで完全に複製

So what? ただ、その末次という人は辛いだろうなぁと思っただけですよ。

 少なくともあなたよりは遥かに多くの方に喜びを与えることができる豊かな才能の持ち主だと思いますが、そういう人の可能性が積まれてしまうのは非常に残念なことですね。

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末次由紀氏描写盗用問題。

漫画家末次由紀氏による盗用問題についての記事がネットをかけめぐっている。リンク:【続】少女漫画家の末次由紀がスラムダンクの絵を盗用【続】少女漫画家の末次由
  • [2005/10/20 23:21]
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四畳半寝太郎さんの考察について

ネットを放浪していて見つけた四畳半寝太郎さんのブログにて、第三者の視点から音楽にまつわるパクリ文化(?)に関する記述も含めた考察がありました。(以下引用)*****なんか嫌だ。 騒ぎになる理由もわかるし、出版社がとった措置について大筋は納得しつつも、どうも何か腑
  • [2005/11/01 10:39]
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