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小泉総理の「靖国」私的参拝を受けて 

「靖国で譲れば日中関係が円滑にいくなんて考えるのは間違いだ。靖国参拝の後は教科書、尖閣諸島、石油ガス田…と次々に押し込んでくる」

小泉純一郎


産経新聞

朝日新聞

はじめに


 小泉総理の今回の参拝については、内外からの批判や法的観点からの形式性に配慮したという点ではそれなりに評価したい。しかし、「靖国」をめぐる隣国との亀裂はさらに深まり、問題はいっそう深刻化したといえる。いってみれば、小泉総理には法的な責任はなくとも、深刻な政治的な責任があるといわざるを得ない。小泉総理が彼の「靖国」信仰によってもたらすのは、究極的に不毛な世界観の抗争ではないだろうか。

なぜ今回の小泉総理による靖国参拝を評価するか


 意外に思われるかもしれないが、自分は小泉総理の今回の参拝についてそれなりに評価している。なぜなら、彼があくまで私的な立場という姿勢を強調したうえで参拝したからだ。

 それは、先の司法判断や国内の異論、近隣諸国の人びとの感情に対する彼なりの政治的譲歩であったと思われる。彼のような思想信条の持ち主にとっては、おそらく精一杯の妥協だったろう。そして、これ以上は彼の一個人としての思想・心情の自由に関わるのではあるまいか。ゆえに、今回の参拝については、小泉総理の姿勢を素直に評価したい

 執拗に繰り返すが、自分は純然たるアンチ靖国でだ。あれほど不愉快な淫詞邪教はない。ああいった場所に死者の魂を特定の場所に縛るという発想は、信仰というよりは呪術の領域に属するものではないだろうか。

 しかし、それはあくまで自分の宗教観である。結局のところ、自分は小泉総理をはじめああいったものに対して宗教的崇敬をささげている人びととは、死生観や「鎮魂」という行為に対する考え方が異なるのだ。

 だから、そういう彼らの「当たり前」な死生観を非難してもしかたがない。彼らが自分の死生観、信仰に干渉してこない限り、自分も彼らの宗教観についてはとやかくいおうとは思わない。それが、憲法に保障された思想・信条の自由だと思うからだ。

 そう、私的参拝である限り、それは小泉総理の信仰の自由だ。そして、今回の参拝の私的性格を彼が意識して演出したことを、自分は評価したい。それは、先の高裁判決や一部の世論、さらには周辺諸国の感情に対する彼なりの譲歩であったろう。そういった配慮を示すことは、彼の今までの政治姿勢から考えると非常に稀有のことに思える。

 もちろん、ああいったところへの参拝はしないで済むならしないで越したことはないと自分のような宗教観の持ち主は思ってしまう。ただ、靖国に参拝するという行為が、小泉純一郎という一個人の信仰生活において欠かせないことであるならば、それを禁止することはかえって政教分離原則をいびつな形にゆがめる結果につながるのではないだろうか

 (もっとも、靖国神社への参拝は彼の政治家としての公約であるから、完全に私的であると言い切るのは難しいかもしれない。依然として公用車を使っているのもポイント。)

 問題が生じるのは、靖国参拝というのが「非宗教的な国家の慣習」として制度化され、公式に執り行われることだ。国内世論の問題であれ、外交上の争点としてであれ、また憲法上の問題であれ、すべては靖国参拝が公式の国家儀礼として制度化されうことへの危機意識や反対から生じているのではないだろうか。そうした意味で、今回の小泉総理の参拝は、彼なりの靖国問題に対するひとつの落としどころだったといえる。その姿勢を素直に評価したい。


厄介な隣人の問題


 しかし、残念ながら建前を調えたところで、中韓をはじめとする近隣諸国の人びとは納得しない。恒例行事と化した激しい反発が、それらの国々で巻き起こり、中韓政府は態度を硬化させた。…ま、ある意味当然。

 こういったことがなぜ起こるのか。

 それは、どのような小難しい理屈をこねようとも、もはや外交問題としての靖国は、純然たる感情の問題となってしまっているからだ。彼らにしてみれば、どんなに形を取り繕っても、靖国神社に現職の内閣総理大臣が参拝したという事実は変わらない。

 そもそも、この程度の問題をここまで重大な外交的争点としてしまったこと自体が小泉純一郎という陳腐で自己陶酔的な「心情倫理家」が現実政治に及ぼした罪悪だ。

 そして、「靖国」が外交問題となっている理由とは、突き詰めていくと近隣諸国の人びとの感情の問題に帰着する。近隣諸国の人びとからしてみれば、なぜ日本国を代表する人間が「大東亜戦争」を美化し、肯定するような施設に繰り返し参拝するのかが理解できない。(そして残念ながら、自分にも理解できない)理解できないから、余計に傷つくし憤りを覚える。

 ここが肝要なのだが、そういった人びとはいくら今回の参拝が私的参拝であるといわれても、納得できないのだ。それに加えて、背後で煽っている無関係のバカがどこの国にも存在する。蝿のように押しかけてブログを炎上させていく通りすがりと相通ずるようなメンタリティの連中が問題をさらにややこしくするから話にならない。結局のところ、「靖国」は感情の問題として再生産されていく。

 つまり、最終的には東北アジアの安定性を確立するためには、「感情」の問題としての「靖国」、さらにはジャパン・プロブレムを解決しなくてはならない。結局、感情の昇華というメタ・政治的な情念のレベルでの和解がない限り、政治的な解決は果てしなく遠い

 中韓政府の切り札としての靖国カード、歴史問題カードなどが本質的な意味で無力化されるのは、近隣諸国の人びとの歴史に関する痛みが解消されることによってのみではあるまいか。そして、靖国についての理解を周辺国から得られずに参拝を繰り返すことは、痛みを感じている人びとの傷口に塩を塗りこむような行為であることは忘れてはならない


小泉総理の政治的責任


 小泉総理の今回の参拝は、私的参拝の要件をそれなりに満たしているという点で、彼の信仰の自由の行使であったといえる。だから、小泉総理を憲法的な政教分離の観点から非難するのは、筋違いだと思う。今回の問題に関して、彼には法的な責任はない

 むしろ、彼が非難されるべきであるとしたら、今回の参拝が中韓との外交的亀裂を深めたという政治的責任ゆえであり、また実際の戦争の被害者たちの心を傷つけたという倫理的責任においてではないだろうか。
 
 しかし、後者の倫理的責任についてはあえて論じまい。それは、彼が自ら刻んだ業に対してどう向き合うかという問題であり、純粋に彼の魂の問題である。

 ここでは、小泉総理の政治的責任について考えたい。それは、彼の思想・信条の自由が守られるために、わが国の隣国との外交関係が著しく損なわれたという事実である。

 もちろん、法的な観点からいえば、彼は自らの信仰の命ずるままに行動し、靖国に参拝する権利があった。ただ、事実として彼の権利が守られるために、国家の外交関係が損なわれた。彼はこの事実について政治的に責任を負う。

 両国との和解に努めるにせよ、対立路線を新たな外交の軸に据えるにせよ、彼は自らの行為によって生じた外交的亀裂についての政治的な責任をとらなければならない。具体的に言うと、彼の参拝で生じた「感情的亀裂」と損なった国益について、責任のある形で対処しなくてはならない。


小泉総理はアジアに向かって靖国の大義を堂々と語れ


 いっそ小泉総理は、堂々とアジアに、そして全世界へ向けて彼が奉ずる「靖国」の大義について語るべきだ。日本国内閣総理大臣として相応の場を設け演説でもするがよかろう。(ついでに、残された任期中、毎朝靖国神社を私的参拝すればなおよい)

 彼がなぜここまで靖国にこだわるのか…少なくとも自分は疑問だし、ましてや中国や韓国の人びとにしてみればなおさらだろう。問題の根底にあるのが「感情」の行き違いである以上、今後の問題解決の道筋は、いかに小泉総理が彼なりの「靖国の大義」を内外の人びとが納得できる形で提示できるかにかかっている

 しかし、中韓をはじめとする近隣諸国の人びとや、国内における靖国参拝反対派の納得する形での「靖国の大義」の提示など、不可能だと思う。

 なぜなら、「靖国」という思想には普遍性がないからだ。それは、いわば大日本帝国の価値理念と儀礼(国家神道)に基づき死者を祭り、弔う施設である。靖国は国家神道と切り離す事はできず、そしてさらに国家神道は滅亡したあの哀れな大日本帝国と切り離すことができない。なにしろ、国家神道は「宗教」ではないということが大真面目に主張されてきたくらいなのだから。

 したがって、「靖国」とは国家神道という極めて特殊な政治的宗教思想を奉じる人びとのために特化した宗教施設であり、中韓をはじめとする近隣諸国の人びとと共に死者を悼むことができる施設とはなりえない。さらに言えば、「日本」というファクターを不可欠な構成要素とする時点で、「靖国」は世界に住む60億人の人間のうちの1億2千万人の日本人の、さらに一部の人びとによってのみ共有されている死生観と歴史観に基礎付けられた特殊な信仰なのだ。ゆえに繰り返すが、「靖国」には普遍性はない。

 そうなってくると、小泉総理が彼の「思想・信条」に基づく、偏狭な正義感と信仰に基づいた行動をとり続ける限り、必然的に「靖国」の論理をそれを望まない人々に押し付けざるを
得ない。

 そして、彼は「靖国」の思想で隣国を「啓蒙」するか、それとも「靖国」の思想で彼らと対決するしかないのだ。なぜならば、先の大戦は「大東亜戦争」という名称の示すとおり、アジアの大部分をまたにかけての大戦争だったのだ。アジアの大部分が当事者であるような問題では、「靖国」というローカルな価値観が受け入れられる余地は極めて少ない。小泉総理が「靖国」に固執する限り、それはメタ・政治的な世界観の対立として、アジアにおける文明の衝突をいずれは誘発するだろう

 土下座外交から足を洗い、「靖国」的ニッポンのアイデンティティを掲げて世界に雄々しく立つのもまた一興だろう。だから、小泉純一郎よ、堂々と「靖国」の大義について世界へ語るがいい。いつの世の中でもドン・キホーテは、一部の人間から熱狂的に愛されるものだ。

 しかし、国民はわかっているのだろうか。「靖国」問題の根底にある、世界との断絶と、母親の胎内への退行を願うようなパラノイアを。そして、一旦閉じてしまった世界では、人は人を食うことで飢えを満たすようになることを。


 慰霊は当然でも、「靖国」は当たり前ではないのだ。
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コメント

小泉首相の靖国参拝に

TBありがとう!
面白いご意見感心しました。之だけ事態を分けて考えられればいいですね。私も学びたいと思いました。
靖国の見方また感心!

世界との断絶というが、抗議している国は中国と韓国だけですが。
アメリカも、インドネシアも、台湾も、フランスも、ドイツも、イタリアも、ロシアも、ヴァチカンも、フィリピンも、イギリスも、小泉首相の靖国参拝に抗議なんかしていませんけど。
戦死者は英霊として、靖国に祀られる事が、兵士や軍人と、日本国が交わした約束です。
小泉さんは、首相として、当然のことをしているだけです。

コメントありがとう。
昭和天皇は、御自分が戦争責任者であることをよく認識され、御退位を考えられたようです。それをとどめたのがマッカーサーと当時の首相吉田茂(今の麻生大臣のおじいさん)であるといわれます。自信はありませんが、正解であったと思います。

昭和天皇の戦争責任

>hontinoさん

 なるほど、やはりご退位を考えておられたのですね。君主の矜持としては、見事なものだと思います。

 いろいろな批判がありますが、自分は昭和天皇という方は、それなりの一人物だったのではないかなという気がしています。

 あと、麻生さんって、すごく祖父の面影が現れてますよね。なんともいえない愛嬌があって、憎めません。

だからどうしたとしか言いようがないですな

>ゴマちゃんさん

 さ~て、困りましたね。

 ゴマちゃんさんのコメントに対する答えは、ただひとつ、あぁ、そうですねとしか言いようがない。

 なぜならば、この文章はそういうことをまったく問題にしていないからです。

 誰かに抗議されたからどうのこうのなどと言うのではなくて、単に「靖国」というのは特殊なロジックだから、それ自体が争点と化してしまうと妥協不可能になってしまって大変ですね~ということをこの文章は綴っているのですが、おわかりいただけなかったのは非常に残念です。

 それから、他人の文章を読む際のコツですが、まず相手ほ問題意識や文章を書く動機のようなものがなんなのかよ~く考えて、それを理解してから支持するなり批判するなりされたほうがいいですよ。そのほうが人生楽しいですから。

 脊髄反射みたいに特殊な、しかも執筆者がぜんぜん問題にしていないような論点について異議を唱えたって、コミュニケーションは成り立ちませんよ。もっとフレンドリーにやりましょうよ、ね。

 せっかく広いウェブの大海の中でめぐり合えたのに、それじゃあ、あまりに悲しいじゃないですか。

 そんなことをゴマちゃんさんのコメントをいただいて思いました。

 まぁ、こういう僕の考え方も、「特殊」なものです。だから、そういう「特殊」な論理でとやかく言われるのって、もしかしたら不愉快に思われるかもしれませんね。

 でも、もしゴマちゃんさんがそう感じてくださったら、それはしめたものです。自分がこの「靖国」に関する文章で本当に問題にしたかったことは、そういう特殊なロジックについて、おめ~らこれがマイ・ルール、理解しろみたいに言われたときに感じる理不尽さのような感覚だったのですから。

 コメントありがとうございました。

ゴマちゃんさんへのコメントはそのままご自身の問題かと思います。

ゴマちゃんさんの指摘自体は
「中韓をはじめ」や「アジアの大部分が当事者」など、あなたが文章の根拠の一つとして書かれた部分が、事実と違っていると言うことでは?
あなたが論点にしようがしまいが、根拠が事実と違っていれば、その論は成り立ちません。

それを後半部分の政治的な発言を深読みして、「脊髄反射みたいに特殊な、しかも執筆者がぜんぜん問題にしていないような論点について異議を唱えたって、コミュニケーションは成り立ちませんよ。」と言って切り捨てるのは、それこそ成り立ちません。

あなたがなすべきは、「中韓をはじめ」(普通に読めば中韓以外のいくつもの国が抗議しているとしか見えない)のようなミスリードを招く(狙った?)表現を使ったことを認めて修正することでしょう?

それこそコミュニケーションの基礎だと思いますが、難しすぎますか?

だからなんなんです?

>らーめんさん

 はい、難しすぎます。

 僕が言いたいのはただひとつ。「靖国」の論理は、わが国固有の特殊な論理であるがゆえに、わが国以外の人びとに対しては自明ではないということだけ。

 だから、「靖国」は説明する必要があるんじゃないのということを申し上げている。

 あなたがたが挙げている事実と本文の結論の間にはまったく因果関係がありません。だから、あなたがたが挙げられている事実は、本文の結論の根拠ではない。

 難しすぎますか?

 失礼を承知で申し上げれば、もしそういったミス・リーディングをされるとしたら、それはあなたの三分間で茹で上がるような思考回路や読解力と偏見に問題があると僕は思う。

 あと、近隣アジアの人びとに靖国参拝に不快感を示す人がいないということを論理的に証明するのは大変難しいことだと思います。悪魔の証明という言葉をご存知でしょうか?

 あ、ちなみに申し訳ないのですが、僕はあなたのことが生理的に嫌いです。のびたら~めんも大っ嫌い。正直申し上げて、あまりコメントして欲しくない。

 お互い気持ちよくここでさよならしませんか?

 さようなら。来世ではもっといい関係でめぐり会いたいですね。

コメントが投稿できないので串刺しました。また1から文章書くのもアホらしいので一言だけ。

先の文章はあなたの文体を真似ました。

つ鏡

>>つ鏡

つ偏りの無い広い視野

こんにちは。
色んな意見をお持ちの方がいらっしゃいますね。

「もはや外交問題としての靖国は、純然たる感情の問題となってしまっている」
私はこの文章にピーンときました。

感情が入り込むのは、生身の人間であることの一つの証(?)なんだろうけど、そうなると互いに元々根本的に求めていたものを見失いがちのような気がします。

靖国問題は、小泉首相が参拝すると誰か利益を得るのかな、なんて私は第三者の存在を勘ぐったりしていますが、それはさておき、寝太郎さんの分析力には勉強させられます。
ありがとうございました。

お恥ずかしいところを…

>sayakaさん

 そうなんです、いろんな意見の方がいらっしゃいます。そして、僕もいろんな対応をします。(笑)

 基本的に、政治の世界というのは実はあまり合理的に動いていないもののようです。

 あくまで合理的な根拠や理由付けで動いているように見せかけてはいますが、所詮は人間のすること。

 国家外交であれ、霞ヶ関であれ、企業の中であれ、学生のサークルであれ、そこでの人間のメンタリティそのものはあまり変わらないのでしょう。そんなことを思います。

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