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波長が合う人・合わない人~好きと嫌いのアラカルト~ 

 あるワードで検索をかけてみたら、大学在学中、苦手だった連中のブログ・HPが芋づる式にでてきて、朝一番から大笑い。
 で、まぁぶっちゃけてしまうと、ほとんどがつまんない。一時期、リアルの顔とネットの顔みたいな話をしたことがあったけれど、思っていたほどたいした違いはないのかもしれない。どうやらリアルで波長の合わない人間は、ネットでも波長が合わないらしい。なかなか新鮮な発見。

 そして、面白い事に自分と波長の合わない連中同士は波長が合うらしい。その芋づる式にでてきたリアルの知人たちのサイトのリンクだとかコメントをたどってみると、いつまで経ってもつまらないサイトにばかり飛び続ける。これまた新鮮な発見。

 まぁ、自分の場合に当てはめて考えてみれば、これも当然なこと。つまんないブログに対してコメントをしたりリンクを貼るということは、論争をしたいときを除いて、まずない。そして、基本的に噛み合わない人間というのは、そもそも自分と感受性の質がまるで違う。だから、彼らがリンクを貼ったり、あるいは彼らの文章にコメントしたりする人びとの書くものは、たいていが自分にとってはつまらない。そのつまらなさが、実に面白い。

 自分はよく、「~だけど、でも根はいい人なんだよね」みたいなフォローのしかたをする。でも、実を言うとそういうことを自分が言うときは、それはある種の自己暗示であることが多い。本音を言わせてもらうと、根はいい人だけどそれが表に現れないということは、経験則上あり得ない

 もっとも、誰かのいいところを見つけることができるかどうかということは、自分の他人に対するキャパシティや包容力に大きく依存する。だから、誰かを嫌なやつだと思うときは、それは自分のキャパシティの問題であることも確かである。だから、一方的に他人を非難するのは間違い。

 非難するのではなく、単に「うん、俺はアイツ嫌い」と切り捨ててしまうのが、一番お互いにとって健康的な態度。人は自分の好き嫌いは口にするべきではないということを言う人がいるけれど、それ完全に逆。人は自分の好き嫌いでものを言うべきだと思う。

 誰かを非難するということは、ようするに何らかの物差しで相手をはかって、それで相手を裁こうとすること。その物差しは世間の常識であったり、何らかの道徳律や理論であったりするわけだが、いずれにせよ、自分の好き嫌いを自分以外の権威で正当化して、カモフラージュしようとする卑しい心根がそこにはある。だから、誰かを非難するという態度は、決して男らしい態度ではない。

 だから、裁判官のような顔つきで他人の非難を延々と繰り返す人にと話しているとき、内心失笑しつつ思う。「ようはお前がアイツのことを嫌いなだけだろ。」と。

 そういうわけで、無駄にぐだぐだ時間をかけて相手のあら捜しをするくらいなら、一言で済ましてしまえばいい。「アイツ、嫌い」と。この話を人にすると、人の好き嫌いを口に出していいんですかみたいなことをよく聞かれるけれど、「いいんです」。嫌いなものは嫌いと認めてしまい、そしてよりよいものに絶えず意識を向けること。これがコツ。

 人間関係における不幸というものの多くは、好きでもない人を好きになろうと努力することから始まるといってよい。自分が嫌いな人間のいいところなんて、探しても出てくるわけがない。「嫌い」ってことは、ようするに波長が徹底的に合わないということ。そして、「嫌い」な人間を客観的に評価することなんて、できるはずがない。

 嫌いな人と出会ってしまった場合の対処方法はふたつ。自分のキャパシティを上げるか、それとも相手を嫌いなものとして斬り捨ててしまうか。で、残念ながら、いい人ほどその人を受け入れてあげなくてはならないとか、そういう義務感で前者の選択肢を選ぼうとする。

 しかし、人間のキャパシティというものは、努力して意識的に拡大できるものじゃない。それは、日々真摯に生きていると自然と大きくなってくるもの。ある意味身長と同じ。気にしたって、一日二日で大きくなるものではない。

 いい人で不幸な人が多いのは、いい人ほどマゾヒスティックに嫌いな人相手に誠実に向き合おうとうするから。それは、自分の身長を伸ばすためにぶら下がり健康機にしがみついているようなもの。傍から見ていると、手を離して楽になってしまえばいいのになと思うことが多い。けれど、本人にとってはもうぶらさがることが自己目的となっているから、いったんそういうドツボにはまってしまうと、そうそう抜け出せるものではない。
 
 だから逆に言うと、嫌なやつというのは意外にそいつなりにハッピーに生きているヤツが多い。それは何故かというと、いい人みたいに無駄なものを背負い込まないから。つまり、嫌いな人によって不幸な思いをしている「いい人」というのは、大概自分から不幸を背負い込んでいる

 つまり、嫌いな人を「嫌い」だと認めて、斬り捨ててしまう事は、そういう不毛な努力から自分を解放することにつながる。そして、不思議な事に、「あぁ、俺ってこいつ嫌いなんだな」といったん認めてしまうと、かえってその人との人間関係がうまくいくようになることが多い

 さらに、そういう「いい人」たちには悪いのだけど、そういう風に相手を嫌いだという意思決定をはっきりとしないことは、かえって生き方としては楽なのだ。自分の好き嫌いと向き合わないということは、自分自身の今の姿から逃げようとすること。嫌いなものを嫌いと認めることは、いまの自分のレベルを認めることでもある。そして、いまの自分のレベルを認めない限り、そこから進歩するということはあり得ない。

 努力して相手を好きになろうとか、相手のいいところを見つけてあげようとか思っていても、そういう努力が実を結ぶことは、ほぼない。なのに、一旦「こいつ、骨の髄から俺キライ」と腹を据えてしまうと、勝手に縁が切れてくれるか、あるいは相手のいいところが見えてくるようになる。それは、嫌いになるという勇気ある決断をしたことによって、自分の人間としてのキャパシティが一段階あがったから。

 だから、先週ある後輩から、「合わない人と合わせるにはどうすればいいんでしょう」みたいな相談を受けたのだけど、これに対する自分の答えはひとつ。

 「いや、そもそも合わせなくていい」

 嫌なヤツは嫌なヤツどうしで勝手につるんでればいい。そして、合わない連中のことを意識してもしかたがない。だって、波長が合わないものは合わないんだから。人間、嫌なヤツに合わせようとすると不幸になる。

 だから、合わない人と合わせる最大のコツは、まず自分はその人と「合わない」という事実をはっきりと認めること。そして、その事実から逃げないこと。一旦そうやって腹を据えてしまえば、だいたい事態は勝手に解決する。そういうもの。

 そういえば、こんな伝説がある。

 刀鍛冶の名人が二人弟子をとった。入門の際、師匠は弟子たちにこう言ったという。

 「いい刀鍛冶になりたかったら、いい刀だけを見ていなさい」と。

 片方の弟子は、師の言葉に反発して考えた。「いい刀を打てるようになるには、とにかくいいものと悪いもの、たくさんの刀を見て、可能な限りそれらを比較することが大切だ」と。そして、方々に出歩いてはさまざまな刀を見て、それらを比較してまわった。

 もう片方の弟子は、何も考えず師のことばに愚直に従った。そして、寝る間も惜しんで師のつくった名刀をひたすら眺め続けた。

 10年が経った。
 
 師匠の後を継いで名人となったのは、名刀を眺め続けた方の弟子だった。



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コメント

こんばんは。

「非難せずに切り捨てる」・・・なるほど。そういえば、わたしの夫も切り捨てるのが上手です(彼は‘大人’なので表面的にはちゃんと付き合っているようですが)
わたしが嫌いな人は誰だろう?と考えてみて思い浮かぶのは知人ではそんなにいません。でも苦手な人(近づきたくない人)はたくさんいます。それから興味のない人はもっとたくさん。言葉を換えて言うなら、近づいてみたい人はとても少ないということ(これはわたしのキャパの問題でもあるのでしょうけれど)
時々わたしが好きな人がわたしの苦手な人ととても親しく話していることがあって、そんなとき、ちょっと複雑な気持ちになります。
そういうことはありませんか。

あるある

>あつこさん

 非常に多いです。あれは不思議。まぁ、どんな親しい友人でも、ある種の違和感を感じる領域はあるわけで、もしかしたらそういうところで引き合っているのかなぁなんてことを考えます。

 あと、僕の友人同士が犬猿の仲っていうのが時々ありますね~。あれは結構大変。

いいお話でした

はじめまして。

「いい刀鍛冶になりたかったら、
いい刀だけを見ていなさい」

なんだか、求めていた言葉に会えた様な気がして
とても嬉しいです。
目からうろこがボロボロです。
いい話をありがとうございます!!
でも、いい刀とそうでない刀の見極めも、
なかなか難しそうではありますね…

はじめまして

>団藤さん

 はじめまして。

 このエントリーは随分昔に書いたもので、自分自身存在を忘れていたものでした。ですから、こうしたものを拾い出していただき、なおかつ気に入っていただけることほど、こういうところで物を書いていて幸せなことはありません。

 確かにいい刀と悪い刀を見極めるのは本当に難しいことですね。自分は開き直って、純粋に自分の直観、気に入るかそうでないか、そういったものに任せてしまうことにしています。

Re: 少し笑ってほっとしました。

遥か昔に描いた駄文にコメントいただき恐縮です。

これを書いてから4年、リーマンショックの荒波にもまれつつ失業し、転職し、うまくいったりいかなかったりと浮き沈みの激しい人生を送ってまいりましたが、未だにこれは真理だと思っています。

ゆうさんの参考になったとしたら、とても嬉しいです。

また遊びにいらしてください。

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