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Amor Mundi ブログ名変えました 

 「うたたねの記」というタイトルと自分の目指してる方向性みたいなものとの違和感みたいなものを、しばらく感じていました。

 そういうわけで、しばらくの間タイトルを変えようとずっと思っていたのですが、いろんな案を比較検討しているうちにノビノビになってました。

 で、たどり着いたのがこの"Amor Mundi"(アモール・ムンディ)、ラテン語で、「世界への愛」という意味です。わたしのブログ作法という文章を書いてから、ずっと自分の生き様みたいなものを考えていました。どういう生き方をしたいのか、どういう文章を書いていきたいのか…そのふたつに共通する自分のテーマみたいなものについて思いをめぐらしていました。

 突然話は変わりますが、生きてるって素晴らしいことですよね。最近、何かを突き抜けた気がします。その途端、「いまの自分はなんてしあわせなんだろう」ということを痛いくらい感じるようになりました。あらゆるものに対して、痛いくらい「ありがたい」と思えるようになりました。

 あらゆる不幸は、人間が自分で招くもの。どんなしあわせであれ、どんな不幸であれ、自分にふさわしくないことは絶対に起きないんです。

 苦しいとき、行き詰るとき、悲しいとき…そんな人生の闇が訪れるときは、神様が人の魂に光の種を蒔いてくれているときだと僕は思っています。行き詰るときは、自分が間違っているとき。それ以外、あり得ません。そして、そういうときに、神様は光の種を心に蒔いてくれるんです。

 そして種が芽吹くには、大地のぬくもりが必要です。雨の恵みが必要です。暖かな太陽の日差しが必要です。それらは、結局のところ人の心のなかにすべてあるもの。それは、あらゆる人から無限に与えられつついまの自分があることへの感謝であり、自分が道を踏み外していたと言う事実に気づくことであり、何よりこの素晴らしい世界への愛とその証である笑顔です。

 確かに神様はあきらめずに種を蒔いてくれる。でも、それを育てるのは蒔かれた人間の責任…というよりも自由。神様が悪人を罰するんじゃないんです。人が勝手に神様から離れて不幸になるんです。蒔いていただいた種を腐らせて、ダメにするんです。僕は、最近そう思うようになりました。

 でも、なかなかそういった種の存在に人は気づくことができません。それは、結局のところ、われわれが神様とその世界をなかなか信頼することができないからだと思います。世界の不条理、悲惨を正確に目の当たりにしても、それでも世界は美しいと言い切ることができるように、いま自分はなりたい。汚泥と諦めの中に蒔かれている小さな光の種をみつけだし、それをいかに育てていけるかを考えて行きたい。それを自分の探求のテーマにしていきたい。

 自分の人間として生きるためのテーマ、書いていくうえでのテーマ、それは「世界への愛を育むこと」でありたいといま思います。ゆえに、唐突に思えるかもしれませんが、ブログのタイトルを変えることにいたしました。


 ちなみに、このAmor Mundiってちょっとしたパクリなのですが、そのことについては後日書く機会があるでしょう。

 今後も引き続き、当「うたたねの記」あらため、「Amor Mundi」をよろしくお願いいたします。

 いつも本当にありがとうございます。
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コメント

「世界への愛を育むこと」

Amor Mundi
おめでとうございます

 (^^)//

   

へへ

>シコオさん

 なんか照れます。

 ありがとうございます。

うたた寝もよかったんですけどね

うん、なんていいますか

>はんなさん

 波長の問題かなぁ…。

 あの名称が嫌いになったというよりも、なんとなくもう合わなくなったって感じでしょうか。

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