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落とした財布とエトセトラ 

 さ・い・ふを落として東西奔走。写真屋、たい焼き屋、ファミレス、本屋、交番…駆けずり回って小一時間。

 現金4000円、300円の当たりくじ、100円のイアフォン。

 なにより、亡くなった祖父がくれたもの。できることなら見つかって欲しい。

 しかし、思う。

 あの茶色い財布は自分の手を離れた。いつかはきっと、誰かが拾う。「モノ」と人の出会い。新しい持ち主は、あれとどう接するのだろうか。持ち主の手を離れても、「モノ」は生き続ける。なんだか不思議。がっかりしつつも、そんなことをとりとめなく考える。

 さて、こうした大切なものとの「別れ」は、いつも突然に訪れる。再会の保証のない喪失は人にとってなにを意味するのだろうか。

 思い出にすがりつくのもひとつのあり方。その手触りやにおい…そうしたものをまざまざと思い描き、味わうことにより、人は喪失という欠落を思い出という愛玩物へと昇華させ、永遠に手許に残すことができる。

 あるいは、切り捨ててしまうこともできる。古いものとの別れは、新しきものとの出会いの予兆。欠落が出会いを呼び寄せる。人間、本来丸裸。去るものは追わず、来るもの拒まず。割り切ってしまう事で前へと向かうことができる。

 または、その「別れ」を、ひとつの物語のなかの挿話として意味づけるのも一興だろう。何事にも意味がある。「起きるすべての事が神の御心に沿うものではないが、何事も神の御心なしには起こらない」というのは、神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの談だが、そうやって大きな文脈のなかでその喪失を位置づけることで、われわれはただの被害者から演劇の主人公へと自らを昇格させることができる。

 たかが財布。されど財布。がっかりもするが、なんだかおかしくもある。惜しくもあり、割り切りつつもあり、なぜこんなことが起きたのか問いつつ自分を責めたくもある。

 人の心情というものは、かくも割り切れないもののなのだろうか。

 あ゛、バスカードも入ってた。

 ヒ~ン…。 (ToT) 

 
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コメント

あまりにも大きな喪失

こんにちは
こちらにコメントさせていただくのは初めてだったでしょうか。
ブログのデザインがとてもおしゃれで、ヘッダの写真がなにやら意味深で、
それに比べて私のブログは・・・

それはともかく
私も財布をなくしたことが一度あります。
お金よりもその他もろもろがなくなったことが大変でした。
財布をなくすことは時間をなくすことだ、と思い知りました。
ひとつの財布になんでもかんでも詰め込んでいた私が悪いんですが、いまでもおんなじです(^^;

はい、初めてです!!

>モトケンさん

 こんばんは。コメントありがとうございます。

 さっそくですが、このデザイン気に入っていただけて嬉しいです。これ、いまFC2ブログで流行ってるんですよ。別に流行に乗るつもりはないんですが、なんともいえず洒落てて、一目ぼれしちゃいました。この写真は、作成者の方がチェコで撮られたみたいですよ。

 僕は幸いなことに、カードや身分証明の類は別にしていたので、損失は純粋に金銭的+心理的なものだったんです。それでも、…そうですね、いろんなところを探し回ったり交番で届けを出したりするのに結構時間をとられました。

 でも、実は以前公衆電話で財布を盗られたことがあって、そのときは本当に大変でした。しかも旅先だったので、まいっちゃいました。幸いなことに、万が一の事を考えて靴の底に一万円札をしまっておいたおかげで、なんとか家まで帰ることはできましたが…。

 やっぱりリスクは分散させないと…ですね。

財布は見つかりましたか?

>はんなさん

 だめっす。

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