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山本七平 「戦場における人間の二類型」 

 私は、否、私だけでなく前線の兵士は、戦場の人間を二類型にわける。その一つは戦場を殺す場所だと考えている人である。三光作戦の藤田中将のように「戦争とは殲滅だ」といい、浅海特派員のように「戦場は百人斬り競争の場」だと書き、また本多氏のように、それが、すなわち「殺人ゲーム」が戦場の事実だと主張する―この人びとは、いわば絶対安全の地帯から戦場を見ている人たちである。だが、もう一つの人びとにとっては、戦場は殺す場所ではなく、殺される場所であり、殲滅する場所ではなく殲滅される場所なのである。

 その人びとはわれわれであり、前線の兵士たちである。彼らにとって戦場とは「殺される場所」以外の何ものでもない。そして何とかして殺されまいと、必死になってあがく場所なのである。ここに、前線の兵士に、敵味方を越えた不思議な共感がある。私たちがジャングルを出て、アメリカ軍に収容されたとき一番親切だったのは、昨日まで殺し合っていた最前線の兵士だった、これは非常に不思議ともいえる経験で、後々まで収容所で語り合ったものである。

…(中略)

 しかし、すべてにわたって、そういう扱いは最前線だけであった。後方に移されるほどひどくなり。その年の暮のクリスマス前に歴戦の米兵はアメリカへ帰り、全く戦場を知らない新兵が来ると、もう徹底的にいけなかった。

 彼らにとっても、戦場は「殺す場所」であって「殺される場所」ではない―そしてそれは、いかに説明してもわからない。そして、「そんなことわかっている」という人間が実は一番何もわかっていない。彼らがわかっているというとき、それは結局「殺される者がいるということでしょ、そんなことはわかっていますよ、気の毒ですね、戦争はいやですね」ということであっても、自分が殺される、殺されまいとしてあがく、それがどんな状態か、そのとき人間はどんな顔をするかは、それはわからない。

 従って無神経に「殺される者の苦しみはワカッている、ワカッっている」などと言う者がいると、兵士は逆にカッと激怒し、時に暴行さえ加える。ところが暴行をうけた者はその理由が全くわからない。それほどこのギャップは埋めがたい。

『私の中の日本軍』p161~162

私の中の日本軍
4163646205
山本 七平


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