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モーツァルト ピアノ協奏曲20番ニ短調 K.466 

 …クラシックの曲名って何でこんな殺風景なんだろうか。あれだよね、すっごく魅力的な女性と知り合いになって、名前を聞いてみたら「18号」とかそういう名前だったって感じ。(ちょっと、ネタが古いか)

 特に何かうんちくを書きたいってわけじゃない。ただ、音楽における「響き」の大切さというものをわからせてくれる曲だなと思った。第1楽章冒頭付近のピアノソロの入りのフレーズ…、ごく単純な分散和音、しかもむき出しで無伴奏…極限までミニマイズされながら限りなく芳醇な一瞬…それを生み出しているのはその波紋のような響き。なんて美しいんだろう。聞くたびに思う。

 自分は声楽と弦楽器を多少嗜むのだけれども、ああいった響きをいかにして操るかが一番難しいことだと感じる。まず第一に音程が合っていなければいけない…つまり前後の音と調和する音でなくてはいけない。しかも、それだけではなく分散和音に和音としての体裁を整えるためには、個々の音は一つの、或いは一連の響きの中に包摂されていなければならない。…正直、自分の技量だと手に余る。

 無論、ピアノの場合はだいぶ事情が異なるのであろう。しかしながら、ピアノの前に座り、自分が単純な分散和音を奏でたとしても、ああいった響きが生み出せるとは思えない。やはり、技術、音楽性の問題があるのだろう。
 
 ちなみにピアノはマレイ・ペライア、オケはイギリス室内管弦楽団。正直、ピアノに関してはほとんど不調法なので、ピアニストのうまい下手はよくわからない。しかし、技術の優劣というのは、誤魔化しが利かない分、ああ言った単純なところに最も現れるのではないかと思う。だから、ああいう実音+αの響きをたくみに操るペライアという人は、とても巧みなのだと思う。
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