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最初の記憶 

 昨日のエントリーでも書いたが、少し自分を振り返ってみたい。多分、それは古い自分をきちんと殺すためなのだと思う。自分を葬るために、自分の物語を綴ろう。過ぎ行くもの、過ぎ去りしもの…それらは物語となることを求めている。

 
過去は忘却を恐れる。死とは、物語の完結。一方、忘却とは無に帰すということ。古きもの、去り行くものは葬られることを願う。葬送の儀式、それは「ことば」として綴ること。物語として織り成されることで、過去は初めて安らぎを得る。だから、自分自身の物語を僕は語ろうと思う。新たに生き直すために。
 ひとつの情景がある。

 僕は一人
 泣いている。
 叫んでいる。
 ひたすら叩いている
 狂ったように叩き続けている
 玄関の扉を
 一人ぼっちで
 そして
 ひたすら
 叫ぶ
 喉がガラガラする
 それでも
 泣き叫ぶ


 母の話によると、一歳の時のことだろうという。その日、昼寝をしていた僕を置いて、母は買い物に行った。ほんのわずかな間のことだったらしい。しかし、帰ってみると、僕が玄関の扉に取りすがって泣いていたと言う。

 これが、僕の一番古い思い出。一歳のことをそこまで鮮烈に覚えているものだろうか。正直、少し疑問に思う。しかし、重要なことは、この情景が強烈に焼きついたものであるということ。

 惨めだった。寂しかった。突き落とされたような孤独。そして、絶望。何より、本当に怖かった。だから、がむしゃらに扉を叩き続けた。誰かに助けて欲しかった。だから、泣き叫んだ。誰かに聞いて欲しかった。

 誰しも原点と呼べる記憶があるはずだ。それは、スタートポイント。自分という人格が始まる場所。僕の場合は、おそらく原点はここのような気がする。

 孤独と絶望…つまるところ、世界で一人ぼっちでいることの恐怖、これが今までの自分の核心にあったのではなかったか。しかし、結果として僕はいつも一人だった。いや、一人だと思い込んでいた。そして、その思い込みを思い込みと知りつつも、思い込まずにはいられないでいた。自分は、広い世界に一人棄てられたのだと、今でも時々強烈に感じる。

 そして、僕は扉を叩き続けた。助けを求めて、ただひたすらに。思えば、今までの自分の行動の動機、あらゆる動機の根源には救いへの渇望があった気がする。そう、寂しかった。本当に寂しかった。そして、今も寂しい。だから、がむしゃらに叩き続けてきた。魂が胸の奥で泣き叫び、そして僕を内側から叩き続ける。だから、心がいつも痛い。痛いから、助けを求めてがむしゃらに動いてきた。そうでなくては、気が狂いそうで。

 そして、がむしゃらに叩きつつも、誰かに助けて欲しかった。そう、助けて欲しかったのだ、ずっと。自分のこういう側面が嫌いだった。だから、否定してきた。目を背けてきた。いや、最近まで気づいてすらいなかったのだ。でも、これは認めざるを得ない事実だ。僕は誰かに助けて欲しかった、今までずっと。

 そして、助けはどこからも来なかった。

この記事へのコメント

遺書の話から読んでいて、「脱皮」という言葉が浮かびました。

寝太郎さんは青虫から蝶になるための作業をしているのかなと。死という言葉はショッキングですが、青虫から蝶になるということは、まさに青虫にとっての死を意味することになるのですよね。そして蝶として再生する。

自分で自分のカウンセリングをされてるんだと思います。私も次から次と昔の記憶がよみがえって、書かずにはいられない時期がありました。ノート1冊分ぐらいになりましたよ。

Posted by そら at 2005年03月09日 00:57

>そらさん

 こんにちは。

 なるほどぉ、「脱皮」っていいイメージですね。そういう風にポズィティブにとらえればいいのか。…うまく蝶になれますように!!

 しかし、ノート一冊分ってすごいですね。僕も早めに切り上げないと。(笑)

Posted by 寝太郎 at 2005年03月09日 12:52

たしかにノート1冊はすごいかも。
心の中に解消されずにいた、いろんな思いや感情がたまって醗酵していたものを吐き出した感じでした。

文字にして客観的に自分を見つめると、新しい気づきがあるんですよね。欠けていたジグソーパズルをはめていくような感覚でした。点と点が結ばれて線になるような・・・けっきょくすべて繋がっているんです。

ひとつ疑問があるんですけど。

> そして、助けはどこからも来なかった。
と、幼い寝太郎さんは感じたんですよね。一人ぼっちにされた恐怖が、あまりにも強烈だったからだと思います。

帰ってきたお母さんが、泣いている寝太郎さんを抱き上げてなだめてくれた記憶はないですか?

状況をみると、お母さんがその恐怖から助けてくれた人になると思うんです。

1歳だからその時の寂しかった、惨めだった、怖かった気持ちを言葉にしてお母さんに訴えられなかった(甘えられなかった)思いが、ずっと残っているような気もします。

そのときお母さんになんて言いたかったのかな?

このコメントにレスはいりませんので、一度考えてみられると寝太郎さんの新しい気づきにつながるかもしれません。

Posted by そら at 2005年03月11日 14:41

>そらさん

 こんばんは。

 それが僕も気になっていたんですけど、実際に母親が帰ってきたことは覚えていないんですよね。ただ、いわゆる日本の典型的なアパートのドアのノブが頭上にあって、ひたすらドアを叩き続けたって記憶しかなくって…。

 う~む、母さんに言いたかったことかぁ…。ちょっと考えてみますね。

 ありがとうございました!!

Posted by 寝太郎 at 2005年03月13日 19:39
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