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陰口について 

 本人に面と向かって言えない陰口は叩かない。

 なんとなく、今日、晩飯を後輩と食いつつ話題になったので。

 とりあえず、自分は結構陰口が多いほうだと思う。本人のいないところで、「ホント、あいつはだめだね~」と他人を茶にしてケラケラやるのが大好きである。だから、陰口をたたくな、なんてことを言うつもりはさらさらない。…たたくべきでないとは思うけれど。(笑)

 しかし、そんな陰口マニアの自分から言わせてもらうと、陽性の陰口と陰険な陰口の二種類があると思う。聞いてて愉快な陰口と、鬱々としたいやな気持ちになる陰口がある。後味のいい陰口と悪い陰口がある。

 その違いはなんだろうか…案外それは、本人の眼を見ながら同じことを言えるかどうかという点にあるのだと思う。

 
よく、ネチネチと陰に隠れて文句をたれる連中がいる。ある種の陰口サークルのようなものがそこに発生する。そうした閉じられた輪の中でぶつぶつと愚にもつかぬ繰言を繰り返す連中は、大概いやな顔をしている。

 不思議なもので、人間、陰険な陰口を叩くようになると、極度に人相が悪くなる気がする。自分にしても、そうだ。そういう話を人としてしまった後、鏡を覗き込むと、なんともいえない嫌な顔をしているのだ。

 ようするに、本人に面と向かって言えないようなことは、だいたい負け犬の遠吠えなんだと思う。つまりは、コンプレックスの裏返しなのだ。本人に面と向かっていえない悪口がある時点で、自分はその相手に負けていると思ったほうがいい。特に、やつはずるいだとか、要領がいいだとか、そういう類の陰口はその典型だろう。そういうことを口に出した時点で、負けだと僕は思うようにしている。

 逆に言うと、本人の目の前でも言えるような陰口というのは、少なくともそこにある種の明るさがある。それは、突き詰めてしまうと、陰口の対象に対する愛情なんだと思う。陰口に愛情が加わるとき、それは限りなくユーモアに近いものに変質する。ある種のカタルシスがそこに作用するのだ。

 もちろん、たとえ陽性なものでも、陰口は所詮陰口である。そういうものを楽しむ心性には、ある種の根源的な意地の悪さがあることは否定しない。実際、自分はよく意地が悪いところがあるといわれる。しかし、楽しいものは楽しいのだ。だから、自分は陽性の陰口に関しては道楽として割り切ってしまっている。

 基準は本人の目の前で言えることを言うということ。そのルールを破ってしまったときは、本当にいやな気持ちになる。一般論として、そういう陰口を叩く男は、腰抜けだとすら思う。しかも、そういうやからは、たいてい周りの空気を読めないタイプである。そして、そうなってしまう危険性は、誰にでも潜在的にあるのだ。

 特に、自分は根が少し神経質なところがあるだけに、人や世間に不満を感じやすいタイプ。だから、なおさらそういうことに気をつける必要があるのだと思っている。

 ネガティブな感情を無理に押さえつけてもろくな事にならない。しかし、ネガティブなままにすき放題にさせてもろくな事にならない。大切なのは、浄化し、発散させること。その鍵となるのが、ユーモアであり、人間への愛なんじゃないかなと、漠然と思う。

 う~ん、イマイチな文章。
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