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よそ者としてやってきて…① 

Fremd bin ich eingezogen,
Fremd zieh' ich wieder aus.

(よそ者としてやってきて、よそ者として去っていく)

フランツ・シューベルト 歌曲 Winterreise(『冬の旅』)より


 いま思えば、本当に愚かなこと。僕は自分をずっと「よそ者」だと感じて生きてきた気がする。

 僕が2歳の時、父親の仕事の都合でロンドンに住むこととなった。当然、地元の学校に行くことになる。他の帰国子女がどう感じているのかはよくわからない。ただ、家で日本語を喋る一方で、学校では英語を使うという環境に、ずっとある種の違和感を覚えていた。

 1980年代のヨーロッパは日本人にとっては完全な異国だった。ヨーロッパに住むということは、日本からの断絶を意味したと言ってもいい。今でこそ、ヨーロッパの主要な都市には日本人社会ができあがり、また衛星放送やインターネットの普及によって日本の情報にリアルタイムにアクセスできるようになった。しかし、当時はまったく事情が違った。

 当然、僕が使う日本語という言葉は、家族とごく僅かな両親の友人に対してのみ使うものであった。要するに、広い英語の世界の中での非常に"private"な暗号のようなものだった。

 別段、不便だとかそういうことは無かった。そこは子供の適応能力である。ただ、時々不思議に思うのである。学校の他の友達が持たない自分だけの「ことば」を。他のみんなと違い、自分はいわば「二重」に考えている。勢いとして、自分は周りと何かが違うということを幼心にずっと感じ続けていた。
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