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寂しさについて 

 外の世界がすべて寝静まった深夜。考えたり書き物をしたりするにはうってつけ。しかし、往々にして、気の狂うような寂しさに襲われることもしばしば。かといって、こんな時間に誰かに電話をしたり、メールを打ったりするわけにもいかない。邪魔をされないと言うことは、誰も自分の傍に居ないと言うこと、つまり孤独ということに他ならない。

 時に、一人にならなければ人は自分を見失う。しかし、それは例外的な状態。世界から弧絶した形で自分を見つめなおすのは、日常を振り返り、より美しく自分を世界に挿入するために他ならない。孤独はより善き隣人として世界に参与するための調整の時間である。

 しかし、なぜこれほどまでに寂しいのか。この誰かの傍に居たいという、強烈な衝動は何なのか。人間にとって、いや、自分にとって寂しさとは何か?孤独が寂しさを伴うのは何故なのか?

 こう思いたい。この経験においてのみ世界への愛が芽生えると。そして、この愛こそが、我々の世界を統べ、保つと。世界への愛を生み、育むこと…それが、この寂しさの持つ意義である。

 そう自分は信じたい。
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