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よそ者としてやってきて…② 

 ことばの問題、自分だけが「二重の考え方」をしていることだけが問題なのではなかった。

 思えば自分はよい人間関係に恵まれてきた気がする。日本人の割にはそう深刻ないじめにあったわけでもなく、かえってたくさんのいい友達や先生に出会えた。しかし、僕は異邦人だった。そう、彼らにしてみればよそ者だったのである。この肌の色からして、僕は根源的に周りに対して他者であり、異物だった。

 日本の古い言葉で、客人のことを「まれびと」という。彼方、時には常世の国からから来た異形の者のことだ。まさしく、僕は、イギリス社会に紛れ込んだ「まれびと」だった。本当に、会う人みんな僕によくしてくれたと思う。しかし、どこかお客様扱いだった。「彼は日本人だから」という属性が、僕の人間性そのものに常に先立っていた。差別とは言わないだろう。しかし、こういった善意の区別も、受け取る側の心境次第では柔らかな差別となりうる。よく、ネット上で「だったら日本人やめろ」系の議論を見かけることがあるが、僕に言わせれば甘ったれた「たわごと」もいいところだ。自ら異邦人となったことのない人間に何がわかると言うのか。抽象的な「人類」や「地球市民」などというものは概念に過ぎない。目に見える肌の色、聞き取れない言葉、そして異なる匂い、体感としての「民族性」という冷厳なリアリティ…これが世界の現実だ。そして、「日本人」に生まれついた者が「日本人」をやめることはできない。できないのだ、どうあっても。
 僕は「日本人」という自分の生得の属性を強く意識して育った。しかし、それは自発的なものではなく、むしろ周りの目に応えたものではなかったか。「日本人」らしく潔く、そして誇り高くありたい。自分は「サムライ」の末裔であるということにプライドを抱くようになった。(幼少時に最も影響を受けた本は吉川英治の『宮本武蔵』だった)自分が「日本人」を代表しているという、いま思えば過剰な自意識が、僕の人格形成に大きく作用した気がする。完全な英語圏に暮らしながらも、僕にとっては常に日本語の方が得意であったという事実―同世代の他の日本人の子供よりも或いは流暢であったくらい―は、こうした自意識の強固さのひとつの証明ではないだろうか。

 しかし、ここで重要なのは、これが内発的なものではなく、周囲から暗黙のうちに期待されている(と自分で勝手に思い込んでいた)「日本人」らしさに応えなければいけないという義務感から生じたことである。自分は、人生のいかなる時期においても、いわゆる「優等生」であったことは一度も無い。しかし、根本的なところで「優等生」的なところがあったのではないかと思う。だから、必要以上に「日本人」らしくなけらばならないという強迫観念を恒常的に意識し続けてきたのだろう。だから、僕の「異形」ぶりは、実は生得のものではなく、自らの過剰な自意識によって育っていったものだった。僕は自ら好んで異形の者となっていった。

 常に自分を周囲と異なった存在として自己規定することによって、極めて人間関係において要領がよくなった気がする。異邦人とは客として迎えられるか、異物として迫害されるかのどちらか。そして、自分は本能的に迫害されないためにはどうしたらいいのかを皮膚で学んできた結果、常に客人として歓迎されていた気がする。悪く言ってしまえば、人の顔色を読み取るのが非常に巧みになったということだ。

 異形の者が迫害されずに歓迎される条件、それは卑屈にならないことだ。いや、むしろ自分の異形ぶりに誇りをもつことだと言っていい。だから、必要とあれば、臆病者のくせに、周囲と苛烈に闘うことも辞さなかった。実際、よく喧嘩をした気がする。しかし、ここが重要なのだが、誇り高くありつつ同時に周囲に溶け込まなくてはならない。誇り高き要領のよさ…この一見矛盾するふたつの条件を満たすことで、初めて異形の者は自らの居場所を異世界において確保することができる。それ以外に、自分のアイデンティティを保ったまま生き残る術は無いといっていい。それができないならば、完全な「似非」白人として生きるか、異物として迫害されかの二者択一のみ。

 そして、僕は「異形の者として」人々の「中で」生きる道を選んだ。


この記事へのコメント

私はよく「日本人、どこまで切っても日本人」(金太郎飴、どこまで切っても金太郎飴をもじった^^;)と思います。
どの国に行っても、どう生きても日本人であることに変わりはなく、また日本人から抜け出すことはできません。
かといって、「自分は日本人だから」とは思いません。
日本は地球の上のたくさんの国々の中の一つの国であって、日本だけが特別な国だとは思いません。
それより、いつも思うのは、「我、地球人なり」です。
地球という世界に住み、たまたま日本に生まれ育った。そう思って暮らし、あっちこっち出かけて行きます。
寝太郎さんはどうですか?


Posted by はんな at 2005年03月13日 17:15

>はんなさん


 こんばんは。

 そうですね。いま振り返ってみると、小さいころは過剰に意識しすぎていて、自分自身で周りと壁をつくっていたのだと思います。

 いまも多少はそういうところはあるのですけれど、自覚症状があるだけマシだなって自分では思ってます。

 日本が特別かどうか…難しい質問ですけれど、いわゆる一般的な意味で「特殊」な国であるとは思いませんね。誰もが自分のルーツを持っていて、僕のはたまたまジャパニーズのアイデンティティだったってことでしょう。

 ただ、自分にとっては、やはりいわゆる日本的なものは特別な意味をもっていることも事実です。やっぱり、よくも悪くも日本人としての自己規定―納豆にプライドを感じたりとか(笑)―からはなかなか自由になれないみたいです。特に「ことば」かな。自分の根幹には日本語があって、それは自分にとってはやっぱり特別な言語なんだと思います。…小さいころは英語で詩を書いていたのですが、今ではそもそも書こうと思わない。この意識は重要だと思ってます。

 う~ん、うまく答えられていないような気もしますが、とりあえずこんな感じですかね。
Posted by 寝太郎 at 2005年03月13日 19:48

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