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心月孤円万象を呑む 

 柔らかく、包み込むような月光、太陽の光が命の元ならば、それは慰めと憩いを老若男女の区別ナシにもたらす慈愛の光。その輝きは自ら発しているのではなく、太陽を反射している。それを最初に知った時は驚いた。

 人は、その持って生まれた魂の輝きゆえに万物の霊長とされるのだと思う。それは、互いに対する愛やいたわりであり、突き詰めていくと神への道である。神が人を自らの姿にかたどって創られたと言う神話も、いわれ無きことでは無いように思う。

 魂は、太陽ではなく月のようだ。突き詰めてしまうと、我々の身体は、やがては朽ちるべき単なる糞袋にすぎない。われわれの心もまた、自ら光り輝くものでは決して無い。事あるごとに「私が」と我を通そうとするのはただの傲慢であるばかりか、とても不幸なことのように思う。

 むしろ、我々は宇宙の森羅万象を照らす鏡となることを目指さなくてはならない。そうあって初めて、人の本性たる愛と尊厳の中に生きることができるのではないだろうか。

 そのためには、まず自分と世界とをありのままに捉えることが出来なくてはならない。月は時に満ち、時には欠ける。しかし、その光は常に万物を差別することなく包み込んでいる。そこには、小さな我の先入観による好悪もなく、そして、その好悪が無いから自分に対する驕りも卑下もない。ゆえに、世界に対する偏見も憎悪もない。

 「心月孤円万象を呑む」。人がその月としての本性に立ち返ることは、神の似姿たる本性に立ち返ることにつながる。うとうとと、柔らかな月のひかりのなかまどろんでいるとき、そんなことを時々思うのだ。
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