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ネットの意義ってなんだろう 

 3クリックの距離という詩にいただいたコメントにお返事していました。ネットとリアルの人間関係についての話題です。そうしたら、なんだか記事のネタとして面白いなぁ思ったので、ちょっと書いてみます。

 ネットで出会うというのはどういうことだろう。あるいは、われわれはネットにおいて、「何」と出会い、関係を結んでいるのだろう。

 考えてみれば、得体の知れない絆である。ネットの関係とひとことでいうが、顔も知らず、声も知らない相手と人間関係というものが成り立つのだろうか。それは、絆と言えるのか。所詮はヴァーチャルな精神と精神の戯れに過ぎないのだろうか。

 そもそも、ネットにおける人間関係とリアルのそれを分けることは適切だろうか。ひとつ言えるのは、ネットはネット、リアルはリアルと完全に二分法で考えるのは不毛だろうということ。しかし、だからといってこの区別が無意味なものであるとは思わない。ネットにはネットの、そしてリアルにはリアルの固有の意味が存在するのではないだろうか。

 これはあくまで僕のネット観であるが、現代を生きる人びとにとってのネットとは、リアルの人間関係においてみてもらえない自分として現れるための空間として機能しているのではないだろうか。

 ペルソナという心理学のことばがある。現実の人間関係においては、誰しも相手に合わせた一定の役割を演じる。それが家族に対する父親や夫としての顔であれ、親に対する子供としての顔であれ、職場における上司としての顔であれ、友人に対する顔であれ…何らかの相手にあわせた仮面を人はかぶり、またそれを使い分ける。

 自分探しということばが一時期はやった。僕はそういうものを聞くと、何を甘ったれたことをとつい鼻で笑ってしまう。しかし、これは本人にしてみれば深刻な問題なのだと思う。自分が見えなくなるというのはどういうことか。

 ネットでの顔とリアルでの顔が完全に一致することが可能であれば、それが一番望ましいのだろう。しかし、現実問題として世間の眼に映る自分は、どこか本当の自分は違うということを感じる人が多いからこそ、人はネットで自分自身を取り戻すのではないかと思うのだ。(もちろん、この議論は必ずしも一般化できるものでないことは承知している)

 そして、取り戻した自分自身として、同様の経験を共有する人びとと、時間と空間を越えて触れ合うことが、ネットの人間関係の面白さだと思う。だから、ネットでの人間関係というのも、その固有の意義があるのではないだろうか。

 所詮は現実からの逃避であり、ある種の息抜きなのかもしれない。実際、ネットのみでの関係の多くは儚く、脆い。何より、どのような良心的な者どうしの関係であっても、必然的にある種の無責任さと他人事ぶりが常に伴う。

 しかし、思うのだ。ネットの世界にこれほど多くの人びとが生活の一部を移しているのは、現実の世界の問題を反映しているのではないかと。つまり、自分自身として自分のことばで自分の語りたいことを語れ、さらにそうした自分自身として同じ関心を共有する人びとと語り合う場所に、多くの人びとは恵まれていないのではないだろうか。

 もちろん、こういった種類のペルソナと自己の乖離といった問題は、けっして現代に特有のものではない。おそらくは文明の曙と同時にうまれたのだと思う。けれど、やはりそういった乖離と違和感を感じている人が多いから、ネットというものが成立しているのではないだろうか。


 とすると、僕はネットというものはある種の必要悪であり、したがって、そこでの人間関係には固有の意味があるのではないかと思う。いつか、ネットの必要性がなくなる日が来るとしたら、それはわれわれの社会がちょっとだけしあわせになった日かもしれない。

 ちょっと、脱線したかもしれない。もうちょっと付け足すかも。
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コメント

ネットの関係

私は、寝太郎さんとはちょっと違うネット感をもってます。
最近、いろいろなブロガ―の方たちとお会いする機会があり、大抵の方は良心的です。
中にはそうでない方もいらっしゃいましたが、でも、何人かとお会いしてわかったことは、ブログ
(HPのことはわからないので、ここではブログだけにしておきますね)と
リアルのブロガ―とはさほど変わりがないということです。
それがたとえ、ブログの中である程度の人間を演じていたとしても、実際にお会いしてみると、
ああ、そうか、なるほどね^^とわかります。
つまり、人間性、あるいはその人の人格というのは自分で思うほど変えようがないということです。
ネットで表れるのは頭で考えたことや心ですが、これも実際にお会いしてみると、リアルのその人が
ネットの中で凝縮して現れているように思います。
その人全体を見るには、ネットだけではどうしても見えません。
けれど、リアルとネットをあわせて見る時に、その人の全体像が見え、初めて、ネットで言っていたことが、
ああ、そうか!となるわけです。
私にとって、リアルで会うということはネットで書いていることを理解する上で重要な要素だといえます。

その人全体

>はんなさん

 それは、おっしゃるとおりですね。その人全体というものは変わらない。

 ただ、こう僕は考えています。つまり、その人についてリアルではネットで見えるものが見えず、ネットではリアルで見えるものが見えないと。

 もちろん、どちらかからその人の全体をうかがうことは可能です。ただ、正確にその人を知るためには、直接面と向かった人間関係を構築するのが一番なのでしょう。

 僕自身、別段リアルとネットでキャラクターを使い分けているつもりはありません。しかし、そこで出会う人々の僕に対する接し方がリアルとネットとでは微妙に違うのは、やはり自分の違った面が現れているからなのだと思います。

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