スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

JR事故に思う 

 一分や二分、電車が遅れる。それは致命的なこと…と我々は考えざるを得ないような社会で生きている。

 事故の真相については、諸説入り乱れ、正確なことはいまだわからない。ただ、ひとつ確実なのは、例の事故と列車の速度オーヴァーとの因果関係だ。

 遅れを取り戻すため、列車は速く走行した。運転手を駆り立てたものは何か。あせりがあったことは確実である。しかし、なぜ?

 1~2分の遅れを致命的なものと考える価値観を共有する社会。定刻通り、より速く、より確実に、より正確に…。おそらく、ミスによる遅れは当然社内での懲罰の対象であったろう。また、倫理的な強迫観念もあったろう。いわば、価値観のもたらす恐怖から逃れるために、列車は駆け、加速し、そして散華した。

 日本社会は精巧な機械細工に似ている。緻密な計画設計、正確な動作、透徹した合理性…それは芸術的なまでに美しい。しかし、時としてネジだの歯車だのが、実は自分と同じ人間であることを忘れてしまう。

 電車が1~2分遅れると言うことは、人間にとってどのような意味を本来持つのか考えてみる。住みやすく、便利になればなるほど、自分の居場所が狭くなる…そんな社会の姿が浮かび上がる。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。