私の人物鑑定法
なんとなく、日ごろ他人を見る上で気を付けていることを、思いつくままにメモ。
人を見る目って、もしかしたら生きていく上で一番大事なもののひとつかもと思う今日この頃。養いたい!
基本的に独断と偏見に基づくものなので、アハハと笑って読んでください。
人を見る目って、もしかしたら生きていく上で一番大事なもののひとつかもと思う今日この頃。養いたい!
基本的に独断と偏見に基づくものなので、アハハと笑って読んでください。
- [2009/11/10 21:49]
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しなければならない
「〜しなければいけない」
いろんな「しなければならない」をひとりひとりが抱えて生きている。
しかし、実はそれらの「しなければならない」とは、自分自身が好き勝手に決めているものであったりする。
色々な人と話す中で、この人は重症だなぁと思うのが、「だって、それをするのが当たり前」、「社会人なんだからそれくらい出来なきゃ」と言った形で、自分で決めたマイルールがあたかも法律であるかのように自分自身を縛っている人。
恐ろしいもので、本来「当たり前」というものは「その人にとっての当たり前」でしかないのだが、それが自覚出来ていないと、自分で自分を縛り、そしてその縛りで他人をも縛り、苦しめることになる。
先日、隣で飲んでいた女性二人組が「付き合っているんだから、〜してくれて当然」的な彼氏に対する愚痴を延々としていて、それに対して僕は「そりゃあ、アンタの常識だろ」と心の中で突っ込みながら可愛くフルーツ系のカクテルを前に一人でにんまりしていたのだが、この手の思い込みというのはやはり不幸だと思う。
哀しいかな、人は誰もが好き勝手に生きるもので、しかも致命的な事に、基本的には変わらない。変わるにしても、それは大陸移動と同じような深層からの遅々としたプロセスによって数年単位をかけて行われるもの。
つまり、我々は我々にとって「非常識極まりない」多数派に誰もが包囲されつつ生きる星の下に生まれており、結構な確率で身近な人間が非常識人だったりするわけである。
だから、結局人間関係をうまくやっていくコツのひとつは、自分の「〜すべき」、「常識」、「当たり前」が実は単なるマイルールであり、非常にローカルなものだとわきまえておくことなのだろう。
正義の反対は別の正義であるという名言は、確かクレヨンしんちゃんの父親のものだったと思うが、誰もが自分が正しいと思って自分を縛り、そして他人を縛ろうとする。だからこそ、自分のそれをあまり深刻に受け止めず、また他人のそれを暖かくおかしみとして見守ってあげる思いやりがあると、いろんな意味で世界が優しくなるんじゃないかなぁと、ふと思ったので書いてみた。
いろんな「しなければならない」をひとりひとりが抱えて生きている。
しかし、実はそれらの「しなければならない」とは、自分自身が好き勝手に決めているものであったりする。
色々な人と話す中で、この人は重症だなぁと思うのが、「だって、それをするのが当たり前」、「社会人なんだからそれくらい出来なきゃ」と言った形で、自分で決めたマイルールがあたかも法律であるかのように自分自身を縛っている人。
恐ろしいもので、本来「当たり前」というものは「その人にとっての当たり前」でしかないのだが、それが自覚出来ていないと、自分で自分を縛り、そしてその縛りで他人をも縛り、苦しめることになる。
先日、隣で飲んでいた女性二人組が「付き合っているんだから、〜してくれて当然」的な彼氏に対する愚痴を延々としていて、それに対して僕は「そりゃあ、アンタの常識だろ」と心の中で突っ込みながら可愛くフルーツ系のカクテルを前に一人でにんまりしていたのだが、この手の思い込みというのはやはり不幸だと思う。
哀しいかな、人は誰もが好き勝手に生きるもので、しかも致命的な事に、基本的には変わらない。変わるにしても、それは大陸移動と同じような深層からの遅々としたプロセスによって数年単位をかけて行われるもの。
つまり、我々は我々にとって「非常識極まりない」多数派に誰もが包囲されつつ生きる星の下に生まれており、結構な確率で身近な人間が非常識人だったりするわけである。
だから、結局人間関係をうまくやっていくコツのひとつは、自分の「〜すべき」、「常識」、「当たり前」が実は単なるマイルールであり、非常にローカルなものだとわきまえておくことなのだろう。
正義の反対は別の正義であるという名言は、確かクレヨンしんちゃんの父親のものだったと思うが、誰もが自分が正しいと思って自分を縛り、そして他人を縛ろうとする。だからこそ、自分のそれをあまり深刻に受け止めず、また他人のそれを暖かくおかしみとして見守ってあげる思いやりがあると、いろんな意味で世界が優しくなるんじゃないかなぁと、ふと思ったので書いてみた。
- [2009/11/09 21:48]
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大切にすべき人
大切にすべき人
自分を気にかけてくれる人
「こっちに来ない?」と声をかけてくれる人
自分の力と可能性を認めてくれる人
信じて失敗をさせてくれる人
頑張りや成果を見つけ、褒めてくれる人
何故か傍にいてくれる人
会えば笑顔をくれる人
惨めさのぬるま湯で満たされていても
構わずに光の中へひきずって行ってくれる人
本当に愛してくれる人は
本当に有「難い」
だから、それに気づくと
僕の人生って
奇跡と魔法で出来てると思え
こんなにも嬉しい
だから、僕自身も
もっと人を大切にしよう
もっとたくさん形にして
もっとたくさん伝えよう
ありがとう
好き
すごい
信じてる
味方だよ
そんなありふれた言葉を
たくさんたくさん
もっといっぱい
大切にすべき人がわかるようになった
だから
彼らがしてくれるように
もっともっと
世界の笑顔の種を蒔こう
そう決意出来た
僕の人生に乾杯!
自分を気にかけてくれる人
「こっちに来ない?」と声をかけてくれる人
自分の力と可能性を認めてくれる人
信じて失敗をさせてくれる人
頑張りや成果を見つけ、褒めてくれる人
何故か傍にいてくれる人
会えば笑顔をくれる人
惨めさのぬるま湯で満たされていても
構わずに光の中へひきずって行ってくれる人
本当に愛してくれる人は
本当に有「難い」
だから、それに気づくと
僕の人生って
奇跡と魔法で出来てると思え
こんなにも嬉しい
だから、僕自身も
もっと人を大切にしよう
もっとたくさん形にして
もっとたくさん伝えよう
ありがとう
好き
すごい
信じてる
味方だよ
そんなありふれた言葉を
たくさんたくさん
もっといっぱい
大切にすべき人がわかるようになった
だから
彼らがしてくれるように
もっともっと
世界の笑顔の種を蒔こう
そう決意出来た
僕の人生に乾杯!
- [2009/11/04 00:32]
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幸せになる覚悟
幸せになるには覚悟が必要だ
「満たされない」をあきらめて
いまの豊かさを直視する覚悟
「言い訳」をあきらめて
一歩を踏み出す覚悟
「普通は」と「どうせ」をあきらめて
願い・夢をはっきりと認める覚悟
「評論家でいること」をあきらめて
舞台のスポットライトに酔いしれる覚悟
「意地で後ろ姿を追い続ける」のをあきらめて
自分を本当に大切にしてくれる人に応える覚悟
「いつか機会があったら」をあきらめて
手帳に一ヶ月後の週末の予定を書き込む覚悟
「どうせ誰もわかってくれない」をあきらめて
自分の気持ちと願いをきちんと伝える覚悟
「変わらない毎日」をあきらめて
すべてが変わり行くことが宇宙の真理であると認める覚悟
戻らない「昨日」に生きることを諦めて
今日一日を最高に幸せに生き切る覚悟
「明日」の心配をあきらめて
この食事の最後のひと口までを噛みしめ、味わい尽くす覚悟
今日、今日が紡がれる光の渦のただ中で
宇宙の呼吸に合わせてダンスを踊り
そして、
運命の大河に抗わず、と言って流されるだけでもなく
その流れに沿ってクロールを泳ぐならば
その者は、
自らを神に愛されし者と知るであろう
「満たされない」をあきらめて
いまの豊かさを直視する覚悟
「言い訳」をあきらめて
一歩を踏み出す覚悟
「普通は」と「どうせ」をあきらめて
願い・夢をはっきりと認める覚悟
「評論家でいること」をあきらめて
舞台のスポットライトに酔いしれる覚悟
「意地で後ろ姿を追い続ける」のをあきらめて
自分を本当に大切にしてくれる人に応える覚悟
「いつか機会があったら」をあきらめて
手帳に一ヶ月後の週末の予定を書き込む覚悟
「どうせ誰もわかってくれない」をあきらめて
自分の気持ちと願いをきちんと伝える覚悟
「変わらない毎日」をあきらめて
すべてが変わり行くことが宇宙の真理であると認める覚悟
戻らない「昨日」に生きることを諦めて
今日一日を最高に幸せに生き切る覚悟
「明日」の心配をあきらめて
この食事の最後のひと口までを噛みしめ、味わい尽くす覚悟
今日、今日が紡がれる光の渦のただ中で
宇宙の呼吸に合わせてダンスを踊り
そして、
運命の大河に抗わず、と言って流されるだけでもなく
その流れに沿ってクロールを泳ぐならば
その者は、
自らを神に愛されし者と知るであろう
- [2009/10/09 23:06]
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戒めを破り、赦しを受け入れ、賭けをする
「戒めを破り
赦しを受け入れ
賭をする」
パウロ・コエーリョ 「ヴァルキリー」
(和訳は出てないかも)
しばらく脳裏に引っかかっていることば。そのせいだろうか、
「まずは自分自身が赦されているという事実を受け入れなくてはならない。そうでなくて、いかにして他人に福音が説けようか」
座禅をしていてこんなフレーズが閃いた。飛び起きてメモ。キリスト教の根幹はここなのではないかと思った。
自分自身が、そして自分のありとあらゆる罪が神によって赦されているという事実を受け入れる。ここからすへて始まる。赦されている…それは、自分で自分を罰することを放棄するということ。裁きは神が行う。人の手にはその権限はない、たとえ自分自身に対してであっても。
その神が自分を赦している。絶対的に肯定している。それは、自分はありとあらゆる幸せに「値する」ということでもある。すべての大地の実りと天の恵みを享受する権利を認めるということである。そして、それら限りない豊かさをもたらすあらゆる目に見えぬ導きを「信じる」ということである。それらを信じて、身をゆだねると言うことである。
そのように自分自身への赦し=絶対的な肯定を事実として認めることが出来て、初めて他者に救いを、福音を説くことが出来る。道を示すことが出来る。そして、他者が赦されているという事実を受け入れることが出来る。
信仰は現世に戒めをもたらすためにあるのではない。それは刑法の代わりではない。そうではなくて、一人一人に赦しを、絶対的な肯定を与えるものである。
赦しを受け入れ
賭をする」
パウロ・コエーリョ 「ヴァルキリー」
(和訳は出てないかも)
しばらく脳裏に引っかかっていることば。そのせいだろうか、
「まずは自分自身が赦されているという事実を受け入れなくてはならない。そうでなくて、いかにして他人に福音が説けようか」
座禅をしていてこんなフレーズが閃いた。飛び起きてメモ。キリスト教の根幹はここなのではないかと思った。
自分自身が、そして自分のありとあらゆる罪が神によって赦されているという事実を受け入れる。ここからすへて始まる。赦されている…それは、自分で自分を罰することを放棄するということ。裁きは神が行う。人の手にはその権限はない、たとえ自分自身に対してであっても。
その神が自分を赦している。絶対的に肯定している。それは、自分はありとあらゆる幸せに「値する」ということでもある。すべての大地の実りと天の恵みを享受する権利を認めるということである。そして、それら限りない豊かさをもたらすあらゆる目に見えぬ導きを「信じる」ということである。それらを信じて、身をゆだねると言うことである。
そのように自分自身への赦し=絶対的な肯定を事実として認めることが出来て、初めて他者に救いを、福音を説くことが出来る。道を示すことが出来る。そして、他者が赦されているという事実を受け入れることが出来る。
信仰は現世に戒めをもたらすためにあるのではない。それは刑法の代わりではない。そうではなくて、一人一人に赦しを、絶対的な肯定を与えるものである。
- [2009/09/25 09:55]
- 自分の信仰 |
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柴田淳さんの新曲"Love Letter"を一部分だけ聴いた
聴き間違いがなければ、こんな歌詞。
※試聴はこちら
いつかあなたが死んでいっても
私なら大丈夫
ずっと前から一人だった
あなたを愛した時から
たとえ私が先に逝っても
あなたなら何も変わらない
振り返らないで生きていけるわ
※試聴はこちら
- [2009/09/18 03:09]
- 柴田淳さん |
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体罰が教育の手段として必要な場合もあり得る?
こちらの記事を読んで、体罰の是非について少し考えた
なんせ小学校を退学になったくらいだから、当然先生にぶたれたりしたことは、おそらく人より多い。圧倒的に多い。猛獣のように荒れ狂い、押さえつけられたこと数知れず。また、両親も割と口より先に手が出るタイプだった。
なんせ小学校を退学になったくらいだから、当然先生にぶたれたりしたことは、おそらく人より多い。圧倒的に多い。猛獣のように荒れ狂い、押さえつけられたこと数知れず。また、両親も割と口より先に手が出るタイプだった。
- [2009/09/16 21:58]
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